藤牧義夫を観に

この間入手した芸術新潮1994年11月号(特集「今こそ知りたい! 洲之内徹 絵のある人生」→4/28条)をめくっていたら、急逝によってはからずも「気まぐれ美術館」のラストとなってしまった文章は藤牧義夫について書かれたものであることを知った。藤牧義夫といえば、これまた先日読んだ『帰りたい風景―気まぐれ美術館』*1新潮文庫、→5/6条)の中にも、「中野坂上のこおろぎ」という彼に触れた一文があり、印象に残っていた。
これによれば、画家・版画家藤巻義夫は1911年群馬県館林に生まれ、1935年に行方不明になったまま生死がわからないという数奇な運命をたどった人物で、代表作に毛筆の線描により隅田川両岸の風景を独特の構図で描いた「隅田川両岸図巻」がある。洲之内さんはこの作品を初めて見たとき、「絵だけの絵の凄さ」「一種の戦慄」を感じたという。同図巻は三巻に分けられた全長60メートルという長大なもの。
昨日、ネットで古書店に注文していた著者没後刊行の「気まぐれ美術館」最後の一冊『さらば気まぐれ美術館』*2(新潮社)が届けられたとき、真っ先に最後の文章「一之江・申孝園」に目を通した。
内容は、「隅田川両岸図巻」の第一巻が隅田川の風景ではなく、タイトルにあるとおり江戸川区一之江にある国柱会という宗教法人の本部申孝園の庭を描いたものであることを写真と絵を対比させて明らかにしたものだった。
「一之江・申孝園」の一回前の「夏も逝く」もまた藤牧義夫の作品「赤陽」について書かれたもので、さらに「一之江・申孝園」の中には、書かれずに終わった次回も藤牧のことについて書くことが予告されている。死の直前の洲之内さんをこれほどまでに執着させた藤牧の作品の魅力はどこにあるのか。
『帰りたい風景』や『芸術新潮』を見ながら、「隅田川両岸図巻」を初めて観た気がしないと思っていたら、何かの拍子で、一度自分も実見したことがあることを知った。2001年に東京都現代美術館で開催された「水辺のモダン」展においてである。作品名や藤牧義夫という名前こそ脳裏に刻まれはしなかったものの、イメージだけはかろうじて残存していたとみえる。
ところで今日の早朝ネットを徘徊していたら、この「隅田川両岸図巻」が現在東京藝術大学大学美術館で開催中の「再考 日本の近代絵画」展(第一部)に出展されていることを知った(id:kupeco)。
前の晩に『さらば気まぐれ美術館』によって藤牧に思いを馳せ、いま一度じっくり観てみたいものだと念じていたこともあり、その符合に驚く。これは展覧会を観に行けという神の啓示にほかならぬ。ということで、さっそく昼休みに駆けつけたのである。
目当ての「隅田川両岸図巻」は隅田川を描いた第二巻・第三巻が部分的に公開されていた。第二巻からは東京商船大学の艇庫、第三巻からは『帰りたい風景』にも掲げられている白髭橋の図である。目を近づけて毛筆線描の細かさに見入り、自分も白髭橋のたもとに立ち隅田川を俯瞰しているような錯覚におちいる。
それにしても今回の展覧会には圧倒される。明治維新以後の西欧文化流入による近代化によって、それまでの日本の伝統的な絵画・芸術は変貌してゆく。当然それら作品を生みだす根底にある「美意識」も変容を迫られたわけで、今回の展覧会は明治以後の日本画・洋画を並べながらこの美意識の変容を跡づけるという壮大な企画なのである。芸大を中心に日本の各所に所蔵されている名品がずらりと並ぶ様子は壮観で、ギャラリーの空間も広大、昼休みにさっと観ようなどという料簡は甘かった。
前半が芸大大学美術館、後半は東京都現代美術館という二部立てで開催されており、二館共通券が1500円、図録は3000円と高価。給料日直後であるにもかかわらず、早々に妻から「節約警報」が発令されてしまったこともあって躊躇したけれど、二館合わせてのものなのだからと心を鼓舞し、二館共通券と図録を購入した。ただなにぶん今日は時間が足りなかった。現代美術館に行くことはもちろん、(少なくとも)芸大美術館のほうは再度訪れなければと思っている。
印象に残った絵。高橋由一「美人(花魁)」、藤島武二「池畔納涼」、山本芳翠「浦島図」(まるでギリシャ神話を描いた絵のよう)、久米桂一郎「寒林枯葉」「鴨川」、黒田清輝「引汐」「上汐」「入江」(小品ながら描かれた風景とマチエールが絶妙にマッチ)、萬鐵五郎「地震の印象」、松本竣介「郊外」、小絲源太郎「屋根の都」、織田一磨の版画、長谷川利行「カフェの入口」(いい! 一見乱暴な描線なのだが、じっと見ているうちにカフェの建物が浮き出てくる)、靉光「眼のある風景」「静物(雉)」、岡鹿之助「橋」、土田麦僊「蔬菜」「鮭之図」と速水御舟「鍋島の皿に柘榴」の素敵な色合い、高橋由一「鮭」(初めて観た)、坂本繁二郎「鮭」。
一点だけ持ち帰っていいと言われたら、小絲源太郎「屋根の都」か長谷川利行「カフェの入口」か岡鹿之助「橋」か…。意外なところで土田麦僊の絹本着色の静物画かも。