永井龍男を読み滝田ゆうに感心す

青梅雨

永井龍男の短篇集『青梅雨』*1新潮文庫)を読み終えた。本書は三年前(2001年)六月に改版のうえ復刊されたもので、私はそのとき本書の存在を初めて知り、購入しておいたものである。本棚で本書を目にするたびに読もうという気持ちになっていたのだが、今回の長い休みの間にようやく念願を果たすことができた。
本書には以下の13篇が収められている(※印は講談社文芸文庫『一個/秋その他』*2にも収録)。

  1. 「狐」
  2. 「そばやまで」
  3. 「枯芝」
  4. 「名刺」
  5. 「電報」
  6. 「私の眼」
  7. 「快晴」
  8. 「灯」
  9. 「蜜柑」※
  10. 「一個」※
  11. 「しりとりあそび」
  12. 「冬の日」※
  13. 「青梅雨」※

「短篇の名手」と言われているだけに、一篇一篇がいかにも作り込まれたという感じの凝った、切れ味鋭い内容で、唸らされる。
自然主義私小説であれ、推理小説のようなエンタテインメントであれ、およそ小説と呼ばれるものは、何も考えずに作者の意識の流れに即してあたかも自動筆記のごとくできあがったものではないとわかってはいるけれど、本書のような入念に作り込まれた小説を読むと、いかにも自分はいま小説を読んでいるという喜びに満たされるのだから不思議である。丸谷才一さんの小説を読んでも同じような印象を得ることができる。
一家心中をした家族の最後の一日の様子を淡々と描いた表題作「青梅雨」、若くして亡くなった娘の夫と関係を持ってしまい(しかしそれは作品中では暗示にとどまる)、残された二歳になる孫娘の幸せのために身を引く決意をする中年女性の悲哀を、これまた淡々と描く「冬の日」は絶品としかいいようがない。
また、あるテレビタレントの葬儀に訪れた一人の男が精神異常者なのか、彼を取り巻く他の参列者たち(=世間)が異常なのか、深く考えさせられずにはおかない「私の眼」「快晴」の連作も凝っている。「私の眼」は前者の男の眼から物語が語られ、「快晴」はその男を不審人物と訝しむ葬儀参列者の視点で男の姿が捉えかえされる。
背筋が凍るような鋭い結末が用意されているのは「名刺」である。読みながら、以前読んだことがあるようなデジャ・ヴュを感じていたが、よくよく記憶の糸をたどってみるとデジャ・ヴュどころでなく、滝田ゆう名作劇場*3講談社漫画文庫、感想は旧読前読後2002/1/25、1/31条)で一度出会っていたのだった。「名刺」に仕込まれた人間性の暗さが見事に一篇の漫画に移されていることにあらためて驚嘆する。
同じく『滝田ゆう名作劇場』に収録されている木山捷平「苦いお茶」の漫画を読み、その後原作を読んだときにも感じたことだが、小説「名刺」に描かれる冷徹な人間関係の描写もさることながら、数多い永井龍男の短篇のなかから本作を選んで漫画化した滝田ゆうさんの見識の高さに感じ入るのである。