憧れの荷風全集

荷風全集

長男が赤ん坊の頃からお世話になっている保育ママさんの娘さんは音楽家で、子供を対象に自宅でピアノや声楽を教えている。長男にもひとつ音楽を習わせてみよう、才能がなければやめさせればいいのだから、と自然の流れで週一日のレッスン通いが始まった。幼稚園退園後、いかにして彼の時間を有効に使うか(妻が手をかけずにすむか)という悩みの解決法の一つがこれだった。
通わせてみると意外に息子は楽しそうにやっているらしく、お世辞だろうが筋はいいとのこと。家で彼の歌を聞くかぎり音程をかなり外していると思うのだが。
子供の頃ピアノが欲しいという夢があったけれど叶わなかったという話を妻から何度も聞かされた。妻はその夢を子供に託しているとおぼしい。なぜならば、先生から家でも練習できるような環境があればもっと伸びるとアドバイスされたことに乗じて、いよいよ家にピアノを買おうと画策しはじめたからだった。
もちろん狭いマンション、それでなくともがらくたが多く部屋を占領して、グランドピアノなど置く場所があるはずもない。防音設備もない。だから当面買うべきは電子ピアノ。これだったらヘッドホンも使えるのでまわりに迷惑がかからないという。子育ての合間を縫ってせっせと山野楽器に足を運びパンフレットを集め、我が家の家計と相談しながら分相応の電子ピアノを選び出し、「はい」と私の前にパンフレットを差し出した。
男子たるものピアノなどというヤワな習い事をすべきではないという頑迷固陋な考えの私としては、そもそも習わせることにも懐疑的で、ましてやピアノなど買う必要がないと思っていた。
置く場所がないではないか。そんな私の反論を妻は待ってましたとばかり慇懃にしりぞける。
ちゃんと場所は考えてあります。置く予定の場所にいまあるもの(玩具)は別の場所に移動させるのです。そのための道具箱もいま選んでいます。だいいちピアノが邪魔というのならあなたの本や雑誌は何なのでございましょう。
結局電子ピアノを買って(買わされて)しまった。新型ノートパソコン一台分程度の値段のもの。妻は暇があればきっと自分も弾こうと思っているに違いない。次男にも習わせると宣言している。貧乏性の私のこと、元をとるために自分もピアノを習ってみようか。
さて、ここでひとつのアイディアが浮かんだ。妻は家にピアノを置くという子供の頃からの夢を叶えて機嫌がいい。どうせ散財したのだから、散財ついでのどさくさ紛れに私も欲しいと思っていた本があるからそのためのお小遣いをせしめよう。
約二週間前のこと、職場近くに新しい古本屋を見つけ、そのレジ脇に積まれていた本がずっと気になっていた。荷風全集』岩波書店)である。荷風全集といっても新版でなく、昭和37年から40年にかけて刊行された四六判全28巻の旧版第一刷。新版が出て値崩れを起こし、時々馬鹿に安い値段で投げ売りされているのを目撃し、その都度喉から手が出るほど欲しい思いを我慢していた。
資料的に古いとはいっても、素人の荷風好きに過ぎないからこだわらない。そもそも自分は正字旧かなのこの旧版が欲しかったのだ(新版は新字旧かな)。その旧版全集揃いが、月報一部欠8000円で売られていた。一冊あたりにならすと300円に満たない安さ。これを目撃してから、何か臨時ボーナスでもないものか、あったら即買うのにと指をくわえて毎日を過していたのだった。
そこに勿怪の幸い電子ピアノ購入という出来事が。それにくらべれば8000円なんてたかがしれている。恐る恐る妻にお伺いを立てる。
――このさい言うけど、俺にも買いたい本がある。援助してほしいなあ。
――何の本、いくら?
――荷風全集で8000円。こんな安いのは滅多にないんだよ。(ト強調して答える)
すると妻は「フフッ」と鼻で笑い、「8000円?そんなものなの」と、もっと大金を要求されると覚悟していたのに案外安いので拍子抜けした様子。この態度に「俺にとっては電子ピアノよりも8000円の荷風全集が欲しいんだ」と心中憤然としつつも、表では懇願の顔を崩さない。
こうして『荷風全集』は自分のものになった。長らく欲しいと思っていた本を手に入れる喜び。8000円を持って古本屋に行くとまだレジの脇にあって一安心。しかし小心者の哀しさ、買うことは決まっているのにすぐに買うということはせず、中味を改めさせてほしいと括っていた紐をいったん外してもらい、はやる気持ちを抑えた。
家に持ち帰っても置く場所がない。しばらく職場に飾っておこう。荷風全集などを書棚に置いているのを見た同僚は私を変な奴だと思うに違いない。
母も、父も、子供も、それぞれ心に満たされた思いを抱きつつ、しかしいっぽうで母と父二人は高い買物をしてしまったという後ろめたさに苛まれ、結果として残った事実は、我が家の貯金が確実に減ったということだった。