臨時ボーナスの悲劇

我が家は楽し

俗に婚約指輪は給料3ヶ月分と言われる。この公式は現在でも通用するのだろうか。私の場合、結婚当時はいまのような給与所得者ではなかったため、この計算が成り立たない。だいいち婚約指輪がいくらしたか、まったく憶えていない。
こんなことを思い出したのも、先日映画我が家は楽しを観たからだ。昭和26年(1951)に制作された映画で、まだ田園風景の広がる世田谷区羽根木に住むサラリーマン一家の悲喜こもごもを描いたホームドラマである。
一家の主人は、森永製菓に勤める「万年課長」笠智衆。妻は山田五十鈴。結婚25年目を迎える夫婦である。山田は17歳で嫁いできた。子供は4人。女女男女。長女が絵描きを目指す高峰秀子。風景画を描いては展覧会に出品するのだけれど、なかなか入選せず、一時絵描きを目指すことをやめようとする。次女は岸惠子。本作が岸のデビュー作だという。女学生で、音楽(コーラス?)をやっている。
借家住まいで家計も苦しい。山田五十鈴は内職をする。夜なべしてミシンを踏み、繕い方をする典型的母親像。それでも足らずに自分の着物を質入れしてやりくりするが、箪笥が空っぽなのを高峰が発見して驚き悲しむ。
物語の最初の山場は、笠が勤続25年で会社から表彰されるというエピソード。金一封を貰えるというので、子供たちに何でも買ってやると胸を張り、喜んだ子供たちは父に買ってほしいものをリクエストする。それを笑顔で見つめる母親。「これで内職しなくてもいい」と喜ぶ夫婦。笠は妻山田五十鈴に、表彰の日は午前中で終わりなので、外で待ち合わせしようとこっそり耳打ちする。
かちんこちんになって表彰状を受け取る夫。その帰り道会社の門前で妻が待っていた。二人は日本橋高島屋に出かけて子供たちへのプレゼントを選ぶ。夫は妻に羽織りでも買おうと反物を手に取る。妻は嬉しい反面、まず子供たちのものから買いましょうと反物売場を離れてしまう。
プレゼントを包んだ買い物袋をたくさん抱えて、二人は夫いきつけの居酒屋で盃を酌み交わす。帰りは満員電車。同じ車輛から「スリだ」という声がして、夫はあわてて懐をさぐり、金一封があることを確かめ安堵する。帰宅すると子供たちは大喜び。いまお祝いの席の飾り付けをしているというので、別室で控えているよう親を連れて行く。と、夫が懐をさぐると、さっきまであったはずの金一封がない! あわてて荷物をひっくり返す夫婦。見事にスラれたらしい。
「私たちのような人間からスラなくともいいのに」「こんなことなら、あのとき母さんの着物も買えばよかったなあ」「最初からなかったものだと思いましょうよ」と沈み込む二人。そうとは知らない子供は、茶の間を飾り付け、父の勤続25年を祝う祝宴を始めたのだった……。
スラれた金一封は、映画では給料2ヶ月分・3万円と話されていた。子供たちに買ってあげたのは、長女には画集、次女には旅行鞄、長男には野球グローブ、三女にはおもちゃのピアノだから、たかがしれている。
週刊朝日『値段の明治・大正・昭和風俗史(下)』*1朝日文庫)にあたるとグローブは昭和30年当時1000〜3000円した。映画を観るかぎり買ってもらったものは高級品とはいえない。とはいえいまの水準で課長であれば30万の月給として2ヶ月分で60万だから、グローブは最低でも2万円見当になり、意外に高いという印象だ。もっともその他の出費を総計してもこのうち10万も使っていない計算になるのではあるまいか。
苦しい家計の足しになると喜んでいたのもつかの間、落胆の表情を隠しきれない夫婦。給料2ヶ月分という臨時ボーナスをもらうとしたら、私は何をする(買う)だろうか。