人生はギャンブルだ

ぎゃんぶる百華

阿佐田哲也さんの麻雀小説に興味があるものの、学生の頃少し麻雀をかじっただけでいまやほとんどルール(や面白味)を忘れていることもあって、手をつけかねている。角川文庫に多く収められているこれら麻雀小説に古本屋などで出会うと、買おうかどうかしばし迷う。たいていそのすえに買うのを諦める。
色川=阿佐田さんのファンであるにもかかわらず、そもそも代表作の『麻雀放浪記』を持っていない。「新…」(文春文庫)と「外伝…」(双葉文庫)だけ持っているという本末転倒状態。
そう思って、長いこと棚に差しっぱなしになっている阿佐田哲也麻雀小説自選集』*1(文春文庫)をめくってみたら、『麻雀放浪記』の青春編だけ収められていた。少し読んでみると、戦後東京の風俗小説として面白そうで、読みたくなってしまう。『麻雀放浪記』は戦後東京の風俗小説であるという話を聞いたことがあるし、また『新麻雀放浪記』は麻雀を知らなくとも面白いと書友やましたさんから教えてもらったことがある。いよいよ読むべきときが到来したか。
こんなことを考えたのも、阿佐田さんのギャンブル・エッセイ集『ぎゃんぶる百華』*2(角川文庫)を読み終えたからだ。ギャンブル・エッセイ集といっても、内容の大半は麻雀のことで、少し競輪やチンチロリンにも触れられている程度。麻雀(ギャンブル)仲間の人物誌やら、麻雀を通した交友録、過去の思い出など、ギャンブルに関する多彩なコラム(もとは『夕刊フジ』連載)になっていて、麻雀に縁がなくとも面白く読めた。阿佐田さんの文章にただようあたたかさというか、慕わずにはいられなくなるようなオーラに引きよせられるのである。
人生はやはり一種のギャンブルのようなものだと思わせるのは、『麻雀放浪記』青春編の冒頭に描かれるチンチロリンの場面に即して、チンチロリンのセオリーを説く文章に接したからで、ここでは「運の生かし方」「運の量り方」が大事だとある。運の大波小波に寄り添って、運気の悪いときには大ばくちをしない。人生と同じではないか。私は阿佐田さんの“人生九勝六敗論”(『うらおもて人生録』)を信奉するものであるが、やはりこの人は頼るに足る人生の師である。
各回すべてに黒鉄ヒロシさんの挿絵がついており、これが文章の内容にうまくマッチしているのだ。ときには文章に絵で反論をしていたり、締切を守れというプレッシャーを阿佐田さんにかけてくるなどなど、打てば響く双方向性が素晴らしい。気のおけない雀友同士でもあるから、黒鉄さんは阿佐田さんの姿を徹底的に戯画化して描く。若い頃の姿に驚き、戯画化した阿佐田哲也像と若き頃の似顔絵を並べて「こんなに違う」とからかっているのがおかしい。要は文章と絵の相性が抜群なのである。文章と絵の相乗効果で二倍楽しめた本だった。