メイキング・オブ・ドバラダ門

ドバラダ乱入帖

ジャズピアニスト山下洋輔さんの大長篇『ドバラダ門』*1新潮文庫、感想は旧読前読後2001/6/12・6/15条)は、いま思い返しても興奮の書だった。鹿児島藩士だった曾祖父山下房親へと家系を遡り、祖父の建築家山下啓次郎の仕事をひとつひとつ丹念に明らかにしてゆく過程を、フィクション・ノンフィクションが入り混じった叙述スタイルによって多種多様に変奏しながらまとめあげるというもので、長い小説ながら息もつかせぬ面白さで、いまでもまた読み返してみたいと思わせるのである。
期待しないで入った最寄駅近くのクリーニング店を兼ねた新古書店で、この長篇の後日譚ともいうべき本『ドバラダ乱入帖』*2集英社文庫)を見つけたので購入した。手にとって初めて本書が『ドバラダ門』の後日譚であることを知ったわけで、この唐突なる出会いは非常に嬉しいものだった。
いま「後日譚」と言ったが、本書は『ドバラダ門』に記されている「騒動」の6年後に書き始められた連載エッセイであり、中で山下さんご自身は本書のことを『ドバラダ門』のノートであり、“メイキング・オブ・ドバラダ門”であるとしている。私同様『ドバラダ門』を面白く読んだ人であれば、必読とはいえないまでも、本編同様楽しんで読むことができる本であることは間違いない。
建築家山下啓次郎は、辰野金吾門下で帝大工学部建築学科を卒業(同級生に伊東忠太がいる)、司法省の筆頭技師として、明治期に建てられた五大監獄(金沢・奈良・鹿児島・千葉・長崎)を設計した人物としてその筋では知られた人物であり、「ドバラダ門」とは、紆余曲折のすえ門だけが保存された鹿児島監獄(刑務所)の石造の門を暗示している。
本書では、この調査過程の補足が述べられているほか、洋輔さんの曾祖父山下房親に関するエピソードが何とも興味深い。本編でも詳述されているが、房親は西郷隆盛の部下として明治維新を生き抜き、明治に入り警視庁に所属して同じ鹿児島の川路利良の下で働く。西南戦争で西郷と川路が対決することになったとき、房親は警視庁の人間として川路の側についた。
しかしながら、西郷の恩誼をこうむった人間であることを忘れなかったらしく、これまた同じ鹿児島出身の床次正精(政治家床次竹二郎の父)が描いた西郷隆盛肖像画(書影の絵がそれ)制作に協力する(「調製」という立場)。この西郷像は、有名なキヨソーネの肖像画とは別に、西郷の記憶をもつ床次・房親二人が中心となって面影を忠実に再現し、西郷従道黒田清隆二人の観閲を経て成った。
本書によれば、肖像画は石版画として制作され、それを「油絵写真」(モノクロ写真に彩色をほどこしたもの)として三部複製、一部を宮内庁に納め、残り二部を床次家・山下家がそれぞれ所蔵したのだという。この肖像画の来歴や伝来、現在の所蔵者を探り当てる過程の叙述がなんとも面白い。ひとつひとつ謎が解き明かされてゆく快感がある。
西郷隆盛は肖像写真が一切残っていないということで有名だ。先日テレビの情報番組で西郷の写真ではないかと思われる細面の人物写真が出てきたというものを流していたが、あの目がギョロリと大きく体格のよい西郷さんの実物は全然違ったものだったという可能性が介在する余地があるというのは、人物が人物であるだけにロマンチックなテーマというほかない。
上記のごとく山下房親によって「油絵写真」制作の過程が詳しく付されていることが本書を読むとわかるから、やはり西郷さんはわたしたちが思い浮かべる「あの」風貌からそう離れていないことがわかるのである。
まだまだ本書には興味深い点は多い。母方の祖父は「大逆事件」の担当判事だったとか(つまり山下さんは犯罪人を裁く家と監獄を設計した家同士の婚姻によって産まれた)、祖父啓次郎の妻の妹は学習院在学時、わが国最初の美人コンテストで一位に選ばれたとか、すでに本編でも触れられた話らしいが(忘れている!)あらためて驚かされたのだった。
叙述スタイルも飼い猫を主語に据えるなど、本編に劣らず自在なもので、解説の藤森照信さん、カバー装幀の南伸坊さんと相まって、まるで赤瀬川原平さんの作品を読んでいるかのような錯覚におちいった。
藤森さんの解説を読むと、建築家山下啓次郎の業績は研究者によって調べられていたものの、遺族の所在が不明で聞き書ができずにいたところ、たまたま鹿児島刑務所の保存運動を通じて山下洋輔さんが遺族であったことがわかったとあった。その結果芋づる式に啓次郎周辺の細かな事実が次々と明らかになった。
たかだか100年前のことに過ぎないのであるが、現在ではわからなくなっていることが多い。しかし、何かのきっかけで端緒が開かれれば地中に埋もれていた貴重な史実が明るみに出るかもしれない。そんな歴史のロマンを感じさせるこの二冊ではあった。