大家族のクロニクル

極楽とんぼ

中野翠さんの『無茶な人びと』*1(文春文庫、→1/15条)を読んで読書欲をそそられた一冊に、里見紝の長篇極楽とんぼ岩波文庫極楽とんぼ 他一篇』)がある。中野さんに以下のようなことを書かれたら、もう、読まずにはいられなくなるではないか。

私は今まで里見紝の小説は短編を数編しか読んでいなかったのだが、うーん……この『極楽とんぼ』にはシビレました。深い、おかしみ。読み終わってしみじみと「ああ、贅沢贅沢」という思いがこみあげて来る。
(…)『極楽とんぼ』というタイトルにつられて三年ほど前に買っておいたのだが、他の本に追われていて、今頃になってやっと読んだ。もっと早く読んでいたらなあ、と悔やまれる。(83-84頁)
幸い私もこの本は昨年買っておいた。この一節を目にした直後、書棚のあいた空間に押し込んでいた岩波文庫版を見つけ出し、目につく場所に置きなおした。その直後、島村利正の短篇「焦土」(講談社文芸文庫『奈良登大路町/妙高の秋』所収)にあった里見に関する挿話に接して、読もうという推進力がこれに加わった。
さてこの長篇は、明治の官僚の家に生まれた吉井周三郎という人物が主人公。名前からもわかるように、上に兄二人がいる(姉も一人)。ただ上の兄姉三人との間に年齢間隔が開き、彼のあとに男女三人の弟妹が生まれた。
ゆえに「後派」の長男的役割を帯びてガキ大将だったいっぽうで、身体が弱くて親に大切にされるという末っ子的甘えもある。兄弟から「極楽とんぼ」とあだ名されるようなわがままで奔放なお坊っちゃんに育った男の一代記である。
女遊びなどの非行によって東京から鹿児島の知人の元に放逐されたと思いきや、手に負えぬと受け入れ先から送還される。さらに洋行先のニューヨークで冒険活劇を演じる。ニューヨークで一緒だった友人の近況を伝えようと彼の実家に立ち寄ってみると、彼の姉に惚れてしまい、駆け落ちしてようやく結婚を許される。その後一度は落ち着いた女遊びが再燃するや、妻は自殺。そんな山あり谷ありの人生に、関東大震災が見舞う。里見作品には関東大震災がよく登場する。
私は中野さんよりさらに読んだ里見作品が少ないので、これまで里見作品=枯れた味わいという固定観念があった。しかし本書を読んで評価ががらりと一変した。枯れたなんてとんでもない、饒舌芳醇な語りの世界に支配されている。戯作味を帯びた調子のいい文体に酔った。中野さんが「贅沢贅沢」と感じたのも、おそらくそういうことなのではあるまいか。
並行して読んでいた高峰秀子さんの『人情話 松太郎』(文春文庫)には、川口松太郎が里見・谷崎に影響を受けたと書かれていて、なるほどと思った。つまり里見は志賀直哉寄りでなく、むしろ谷崎潤一郎寄りの作品世界をもった作家なのだ。
文体ばかりでなく、ストーリーも波瀾万丈で読ませる。併録されている短篇「かね」にしても、文庫版解説の秋山駿さんがいうようにまさに「犯罪奇譚」であって、ストーリーテラーとしての魅力も兼ね備えているのである。全集を手元に置きたくなってしまったではないか。
作品では主人公のほか、彼の兄弟たちの人生も丁寧に追跡される。七十、八十という老齢になった兄弟たちが一堂に会して往時を偲んだり、温泉旅行に行って親睦をはかるといったシーンは、まるで小津映画を彷彿とさせる(というほど小津映画を私は見ているわけではないが)家族的雰囲気に満ちている。小津と里見の世界の親近性を肌で感じた。
それにしても、主人公周三郎のこんな悪行は、絶対わが息子たちに真似させるものかと心に誓った。
また或る時、年よってからはめったに足踏みもしない父の書庫に古本屋をつれ込んだものとみえ、頭より高く、肩幅の倍もありそうな風呂敷包みを、よッちよッち背負い出させる廊下へ、ひょッこり通り合せたので、「いけません。誰に断ってそんなものを……」と咎めれば、「なアに、今更お読みなさるわけじゃアなし、邪魔ッけなだけだから、いま処分してあげてるとこですよ」と、例の、さも無邪気そうなニコニコ顔だった。(30頁)