志ん朝、そして志ん生―本、そして映画

名人―志ん生、そして志ん朝

片手で数える程度にすぎない乏しいわが寄席経験ではあるけれども、一度だけ亡き志ん朝の高座を聴いたことがある。ある方からは、今となっては自慢していいことだと言われ、何だかくすぐったかった。そんなことをいえば、私の妻のほうがすごい。唯一聴いた寄席に志ん朝が出ていたのだから。
亡くなる年の上野鈴本初席のトリをつとめた志ん朝の高座は、初席という限られた時間ゆえに、たっぷり聴かせる古典落語ではなかった(と思われる)ものの、涙を流して笑いころげ、いい気分で夜の上野の町に出たことを憶えている。
私の落語体験はそんなものだから、名人と言われた文楽志ん生の落語をCDなどで聴いたことすらない。いろいろな本に書いてある高座の様子を読んでは、想像を働かせるばかりであった。
それが今回、いきなり「動く志ん生」を見ることができた。
ラピュタ阿佐ヶ谷で映画「銀座カンカン娘」(昭和24年新東宝、島耕二監督、高峰秀子主演)を上映するという情報を得て、わくわくしながら中央線に乗ってかけつけた。高峰秀子が居候する家の旦那役で志ん生が出演しているというのである。
この映画に志ん生が出演するというのは有名なことなのだろうか。むしろ、主演高峰秀子による主題歌(「あの娘か可愛やカンカン娘♪」という有名なあの唄)で知られているのではあるまいか。高峰秀子灰田勝彦、そして笠置シヅ子の唄が劇中で唄われる音楽映画で、東京の郊外?にある一軒家の主人が志ん生なのである。彼は引退した噺家という本人そのままの役柄で、映画の最後では「人間仕事をしなくちゃいけねえな」と復帰するのである。
志ん生が映画に出ているということは、今年になって読んだ川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』*1小学館)で知った。「そば」の項目にて、このように紹介されている。

高峰秀子が下宿している家の主人役で出演した五代目の古今亭志ん生が「疝気の虫」の、女房が亭主の身体に入った疝気の虫を誘い出そうとそばをすする名場面がある。扇子を箸に見立ててそばを食べる。志ん生の十八番のひとつだったという。(54頁)
この場面は映画の中盤に登場した。復帰を決意した旦那が噺のおさらいをしている場面である。志ん生のそばをすするシーンが、その大げさな身ぶりによって、この世のものと思われないような人間離れした(極端にいうと機械仕掛けのような)滑稽味をかもしだしていて、笑ってしまった。
「銀座カンカン娘」の志ん生ならば、小林信彦さんの『名人―志ん生、そして志ん朝*2(朝日選書)にも触れられていますよと教わったので、慌てて、買ってから一年間ほったらかしにしておいた本書を読み始めた。志ん朝の急逝に衝撃を受けた小林さんが、それを機に志ん生志ん朝を中心に東京の落語を論じた連載エッセイに、二人について書いた過去のエッセイ、漱石と落語についてのエッセイなどを加えて編集した一書となっている。
目を通すと、「銀座カンカン娘」については三ヶ所に言及がある。最初は「痩せているのにびっくりする。志ん生のビデオはほとんどないから、この映画を観ると、当時の人気のほどがわかる」(9頁)、次は「フルに働き始めたのは五十七歳からだが、『銀座カンカン娘』などという映画に出ても、少しもおかしくなかった」(62頁)とあって、至ってあっさりと触れられている。
これに対して、三ヶ所目ではかなり詳しく紹介されている。多少長くなるが引用したい。
ここに出てくる志ん生は驚くほど痩せている。昭和二十四年のお盆映画だから、帰国して二年後であり、女房役の浦辺粂子に「やせっぽち!」と怒鳴られている。
凡庸なストーリーのこの映画は、我慢して終りまで観る必要がある。ハッピーエンドで、灰田と高峰が新婚旅行に出る直前、登場人物がそろった茶の間で、志ん生が「替り目」(または「代り目」)を演じるからである。
数分の短縮版ではあるが、実際の〈志ん生落語〉がこうしたものであったということだけはわかる。落語家が出てくる映画はいくらでもあったが、短いとはいえ、噺をきかせるのは珍しい。(92頁)
終戦満州から帰った志ん生があっという間に売れっ子になったが、その頃の芸を記録した映像は残っていないという記述に続けての一文である。
志ん生の「替り目」を観ていて、私は以前新宿末広亭桂文治の所演を聴いたことがあるのを思い出した。引用部分につづけて小林さんが書いているように、志ん生はサゲまで演じるのだが、志ん生落語初体験の私にとって、いかに「短縮版」でもたっぷり聴かせてもらったという満腹感を得、ところどころに入るくすぐりがおかしく、笑わせてもらった。
映画は志ん生が一席終えて「へい、ごたいくつさま」と挨拶するところでエンドになるので、実にハッピーな気分で映画館をあとにすることができたのである。私の後ろから出てきたおじさんは、「こんなところで志ん生の落語が聴けるとは思わなかったなあ」と連れの人に嬉しそうに話していた。
小林さんは「凡庸」だと評した映画だが、私にとっては唄ともども楽しく、お茶目な高峰秀子さんも素敵で、陽気な「カンカン娘」の唄と志ん生落語で何倍にも楽しめたのである。