入れ込みすぎて

張込み

先日映画版「砂の器」のビデオを借りようとしたら貸出中で借りることができなかった。代わりにといっては何だが、同じ松本清張原作・野村芳太郎監督・橋本忍脚本の「張込み」を借りた。書友モシキさんが高く評価されていたのを以前その読書日記で目にして以来気になっていた映画だった。
昨年末西大島のたなべ書店で原作を入手したことに加え、同じく年末に大村彦次郎さんの『文壇栄華物語』筑摩書房→12/31条)を読み原作の推理小説としての位置づけを知ってから、原作を読んで映画を見たいと思っていたのである。それが「砂の器」の余禄で実現された。
大村さんは「張込み」について、こう書いている。

まさかこの「張込み」一篇が、その後のわが国の推理小説を変革する記念碑的な先行作品になろうとは、読者は勿論、作者の松本すら到底思い及ぶところではなかった。(365頁)
「まさか」云々というのは、松本清張自身これを推理小説とは考えず、「せいぜい刑事が脇役で出る現代小説ぐらいに読者は受け取るだろう」と思っていたそうだからだ。
先走っていえば、「社会派推理小説」の祖というイメージをもって「張込み」を読んだ私は、正直肩すかしをくらった感じで、まさに「刑事が脇役で出る現代小説」に近い印象を受けた。
とはいえ先日読んだばかりの『砂の器』や名作『点と線』など後年実を結ぶ「社会派推理小説」の代表的作品のモチーフ(たとえば犯罪を捜査する刑事の視点で小説を描く)がすでにこの作品にもあらわれていることは指摘できるだろう。
もとより「張込み」一篇にとどまらず、芥川賞受賞作「或る「小倉日記」伝」からこうした傾向を備えていたと考えられる。
有名な言葉であるが、芥川賞の選評で坂口安吾は次のように指摘する。
一見平板の如くでありながら造形力逞しく底に奔放達意の自在さを秘めた文章力であって、小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。(文藝春秋編『松本清張の世界』文春文庫、158頁)
これを読むと、社会派推理小説の核がすでに初期作品に胚胎していることもさることながら、それを文章によって見抜いた安吾の炯眼に驚かざるをえない。
さて律儀な(つもりの)私は、映画を見る前に原作を読んだ。『張込み―傑作短篇集(五)』*1新潮文庫)に入っている。本書には表題作のほか、「顔」「声」「地方紙を買う女」「鬼畜」「一年半待て」「投影」「カルネアデスの舟板」の合わせて八篇が収録されている。
文藝春秋松本清張の世界』*2(文春文庫)所収の年譜によれば、「張込み」が1955年(昭和30)発表で他はいずれも56〜57年の二年間に発表されている。57年にはいっぽうで『点と線』『眼の壁』も連載されていたので、ここに収められている短篇は、それまで清張の頭のなかに胚胎していたミステリの種が一気に花開いた時期のものということができるだろう。アイディアが奔流のごとく沸き上がっていたのではあるまいか。
そういうわけだから全編多彩でいずれも面白く、前述の「張込み」だけでなく、これらの作品総体として「社会派推理小説」の大きな種子を宿しているという感がある。
ミステリとしてすぐれどんでん返しが際だっているのは「顔」。第10回日本探偵作家クラブ賞を受賞したというのもうなずける。「声」はアリバイ崩しの佳品。「地方紙を買う女」は犯罪が思わぬところから破綻するという設定が見事。「一年半待て」もラスト一行のどんでん返しが鮮やか。「投影」は上記作品に比べてやや弛緩した印象だが、新聞記者の屈折した心象と社会悪をえぐり出そうとする執念の絡ませ方がうまい。カルネアデスの舟板歴史学の大学教授間の葛藤という私にとって心穏やかでない短篇。学問の世界はこわい。
最後に残るは「鬼畜」。このタイトルを見て、子供の頃見た(はずの)緒方拳主演の映画を思い出したが、清張作品が原作であったとは知らなかった。映画の内容はすっかり忘れているのだが、原作ははなはだ酷烈だった。
妻と二人三脚でこつこつと働いていた勤勉な印刷工が、少し自由になるお金ができたとたん、外に女をつくる。それをきっかけに破綻する家庭と、変貌してゆく主人公。捨てられ、殺されそうになる子供たちがあまりに哀れで、「これは小説なんだぞ」と言い聞かせながら読んでいても、子供たちはこれからどうなるのかという小説の外側に対する想像力ばかりが肥大し、先を読み進めることができなかった。電車で読んでいたのだが、胸が苦しくなって、まだ下車駅は二駅先にあるというのに、思わず途中で本を閉じてしまった。われながら入れ込み過ぎだとは思う。
主人公は、好きな女を囲う身分になれたという充足を「出世感」として受け止めた。当時そんな感覚がまだ残っていたことが伝わってきてリアルである。
最後に映画「張込み」について。
原作はたかだか文庫版30頁ほどの小編であるが、映画はそれを基本線に、主人公大木実(柚木刑事)の私生活や東京−佐賀間の鉄道風景を盛り込んでふくらませている。日々夫に忍従しながら家事を淡々と反復する、生活に疲れた主婦に高峰秀子高峰秀子さんはこのような風采のあがらない薄倖な役柄が素晴らしい。他に「あらくれ」とか「放浪記」とか。佐賀の町の風景や、広漠たる郊外の田園風景も貴重。
何よりも、劇的なシーンがあるわけでない地味な渋い作品をこのように映画化する昭和30年代日本映画界の活力を羨ましく思う。

*1:ISBN4101109060

*2:ISBN4167217783