トンネルを抜けると…

書店風雲録

百貨店の天井の低くて長いトンネルを抜けると、そこは“本の天国”だった。――
池袋リブロを最初に訪れたときの印象である。
池袋駅構内から西武百貨店の地下惣菜売場を抜けると天井の低い地下通路(=トンネル)があって、そこを抜けると興奮を誘うような書店の空間が広がっていた。
東京で本屋といえば何といっても神保町の古本屋であり、仙台から東京に出る機会があれば神保町にまず足を向けたかった。
人文系・文学系・幻想系の渋い新刊書は仙台にも「八重洲書房」という店があり、狭いけれどだいたいそこで間に合った。仙台駅前の百貨店丸光(のちビブレ、現在さくらや)の地下にあった八重洲書房は、すでに私が仙台にいた頃に閉店してしまったが。
研究室に、私にいろいろな本の話を教えてくれた、俳句を詠み福永武彦ファンの先輩がいた。その先輩が東京に職を得て移り住み、東京の“本事情”を教えてくれたなかに、「池袋のリブロはスゴイぞお。一度行ってみろ。きっと興奮するから」という言葉があった。
それを聞き、次の機会にさっそく訪れたような気がする。そのときの心象風景は冒頭で述べたとおり。
何でもあるのではないかという本、それもただたくさんあるだけでなく、一定の文脈で綺麗に棚に収まった人文系の専門書や文学書たち。また地下にもぐると文庫本がたくさん。
先輩にあらかじめ聞いていたのは、旺文社文庫のような絶版文庫までプレミア付きで陳列されているということ。当時探していた内田百間の文庫なども並んでいて、「東京の新刊書店はスゴイ!」とはなはだしく興奮した。
……とばかり思っていた。
ところが記憶の美化作用とは恐ろしいもので、実際は期待と現実のギャップが大きくて、落胆もおぼえていたらしい。初めて池袋リブロを訪れたのは、1991年6月9日。当時の日記にこんなことを書いている。長くなるが引用する。

そして、いよいよ「リブロ」に行く。第一印象は「何だ思ったほど大きくないじゃないか」。(…)早速、幻想文学のコーナーに行き、澁澤龍彦種村季弘氏の著書を見る。だが、さほど私の書棚の構成と変わりはない。ただ、池内紀富士川義之氏の著書も今出ているのは殆ど並んでおり、その点感心す。外国文学の棚も然り。あるところにはあるものだ……。百間の単行本も並んでおり、今品切れではないかと思わせるような『百鬼園日記帖』もあって触手が動きかける。
次に、地下二階の文庫のコーナーに行く。ここもさほどあるとは思えず。というのは、期待して覗き込んだ中公文庫の棚には、吉田健一の本は『私の食物誌』しかなく、石川淳・谷崎も代わり映えしない。ただ、百間の『東京焼盡』が平積みされていたのには驚く。ここでも、「あるところにはあるものだ」。
絶版文庫のコーナーも見たが、めぼしきものなし。旺文社文庫の百間の『菊の雨』が驚くことに何と千五百円であった。幸い架蔵なのでよかったが。徳間文庫の橋本治の本もなく、期待をだいぶ外された。
ただ一つスゴイと思いしは河出文庫の棚である。仙台の本屋では河出文庫を比較的揃えているのはせいぜい八重州だけであって、不満を感じていた。ここリブロでは大体揃っている感じだ。早速仙台ではどこにもない『ヒコーキ野郎たち』(稲垣足穂河出文庫)を見つけ、その他『風俗江戸物語』『風俗明治東京物語』(ともに岡本綺堂河出文庫)、『鴉戯談』(円地文子、中公文庫)を購う。
又、再び地下一階に戻り、映画演劇のコーナーなどを一巡して最初の所に戻り、そこでタルホの本の棚を見つける。色々欲しいものはあったが、その中から『稲生家=化物コンクール』(タルホ・ヴァリアント1、人間と歴史社)を購う。
23歳の私は「自分の書棚と変わりない」という不遜な言葉を吐き、「代わり映えしない」と毒づいているわりに事細かに行動を書きつけているから、やはり興奮したに違いないのだ。その興奮の印象だけが結局いま池袋リブロ初訪問の記憶として残存しているのである。
前置きがずいぶん長くなってしまった。田口久美子さんの新著『書店風雲録』*1本の雑誌社)は、私が訪れた頃の池袋リブロの様子を書店員の立場から叙述した面白い本だった。
著者田口さんは76年に西武百貨店書籍販売部門に入った。西武百貨店の書籍売場(西武ブックセンター)は85年にリブロとして独立する。
田口さんは独立当時は別の店(渋谷店)などに勤務しており、池袋店に移ったのが90年。それから同リブロの店長を経て、現在はライバル店であるジュンク堂池袋店副店長をされている。私が訪れた当時、まさに田口さんが池袋リブロの棚構成を担当していたわけである。
それにしても面白い本だった。70年代から80年代を経て90年代、そして現在までに至る「書店史」であり、一面での「出版業界史」でもある。
社会状況と出版界のかかわり、ベストセラーと書店、文学潮流の変化と書店、出版業界の流通問題、書店・出版社の消費税への対応、百貨店のなかでの書籍売場の立場などなど、話柄が専門的にわたり、素人にはよくわからない点もなくはなかったが、「ああこの本、あの本も…」と懐かしく思い出されるような本を当時の新刊書店がどのように扱っていたのか、またリブロがどのように並べていたのか、自らの記憶だけでなく、当時の同僚・上司への取材も含めて事細かに再現されている。
西武百貨店堤清二の下、西武(セゾン)美術館をはじめ文化戦略を重視していた。リブロの展開もそれと軌を一にしている。それに加え、人文系・文学系に深い理解があり、またジャンルを超えて他分野の書物と横断的に組み合わせて棚で表現するような書店員の存在も大きい。書店がどのようにして「お得意様」を獲得して維持するのか、当時のリブロの文化度の高さを知った。
思い出話のなかにはリブロあるいは西武グループの同僚たちもたびたび登場する。永江朗保坂和志車谷長吉といった今では第一線で活躍している作家・評論家が田口さんと同時代にリブロや西武グループで働いていたことを知り、驚いた。
車谷長吉畸人ぶりが面白い。畸人ぶりといえば、先般お亡くなりになった上野文庫店主中川道弘さんもリブロにお勤めだったという。その風変わりな店長の姿が活写されている。
いまやどの新刊書店も苦しい立場に立たされている。「読み手」を育ててこれら新刊書店を盛り立てていこうという気持ちがこんな文章にあらわれる。こう言われると、やはり町の新刊書店で本の空気を吸うというのは大切なことだなあと思わずにはおれない。
皆さんには懐かしい小さな書店はありますか。その書店が今も活気があるなら、それはほどほどに立地が良いのか(あまり良すぎても近所に競合店ができます)、経営者の必死の努力の賜物です。大切にしてほしい。(60頁)
どんな書店にもジャンル分けの癖がある。賢い書店の利用法はその「分類癖」を発見すればよいのだが、それには「馴れ」がいる。皆さん、行き付けの書店を持ってください。(65頁)
東京に来てから、池袋リブロにはいく度となく足を踏み入れた。増床され、初めて訪れたときとはかなり印象が異なる書店になっている。あの「トンネル」も長いとは思わなくなった。
明治通りを挟んで向かい側にあるジュンク堂池袋店も一緒に訪れることが多いためか、トンネルをくぐっていくのでなく、明治通りから降りる階段を利用する機会が増えたからなのかもしれない。
本書を読んでいて、自分が当時東京の新刊書店に抱いていたある種の憧れのようなものが去来し、たまらなく懐かしくなったのだった。

*1:ISBN4860110293