書かれるべくして

愛妻日記

12/7条重松清『流星ワゴン』*1講談社)の感想を書いたとき、書ききれないことがあった。書くのを憚ったというわけでなく、文章の流れにうまく収まらなかったので、やむなく切ったのである。「余滴」として掲示板に書き込もうと思ったが、そのうち忘れてしまっていた。
主人公は「流星ワゴン」に乗って近過去の「たいせつな場所」へ戻り、そこである程度の時間過去を変えるべく過去の自分に同化して暮らすことになる。
過去の世界で過ごす時間は一定でない。面白いと思ったのは、過去の世界から現在へ戻るきっかけだった。
切り換わりのスイッチは、直前までテレクラで自分の見も知らぬ男と関係したことがわかっている妻との激しいセックス。妻と関係を結んだ男のことを想像してひたすらに妻を愛撫しつづけ、妻もこれに応じる。いとなみ果てたのち疲れベッドで深い眠りにつく二人。
起きてみると主人公は「流星ワゴン」の中に戻っている。三度が三度とも妻とのセックスが世界を切り換えるスイッチになっているのだ。
その場面の濃厚な描写に意外な気がしたが、それがこんなかたちで結実するとは思わなかった。「初の性愛小説集」と銘打たれた短篇集『愛妻日記』*2講談社)である。
帯の裏側に印刷されている著者の言葉によれば、もともと「「匿名で官能小説を」という「小説現代」編集部の注文を受けて」表題作を書いたのだが、ハマってしまい、二作目以降は志願して短篇を書き継いだものだという。
単行本ではさらに大幅な加筆がなされているとある。匿名とは直木三十六という人を喰ったような名前。そういえば以前『小説現代』でポルノ特集があったとき、この名前を見た記憶がある。鹿島茂さんも書いていて、そちらに気をとられていた。
編集者が重松さんにポルノ執筆を思い立ったのも、あんがい『流星ワゴン』のあの描写を読んだからなのかもしれない。
掲載順がわからないので以下いい加減な感想になる。
冒頭の一篇「ホワイトルーム」は、苦労してローンを組んでようやく手に入れたマンション(モデルルームとして使用され、売れ残って安くなっていた)の部屋が、会社の後輩の指摘でかつてアダルトビデオの撮影現場として使われていたらしいことを知った夫婦の物語。後輩が借りてきたビデオを検分して事実を知った主人公が、それまで夜のいとなみには淡泊だった妻にビデオを見せ欲情させ…という話。
一番最初に書かれた表題作は三番目に配されているが、この作品(といってもこれもかなり倒錯的だが)あたりまではそれまでの重松清的家族小説の世界(つまり『流星ワゴン』)の延長線上にあって、すこぶる刺激的だ。
ところが後半になるにつれ、異常・倒錯ともいえる性愛の世界が展開される。精神的というか、精神分析的深読みを誘うようなきわめて寓話的な物語になっているのだ。
プラトンイデア論を下敷きにした精神と肉体の二元法の問題、少女の頃に受けた性的トラウマの話など、現代の三十代以降の夫婦関係を扱っていても、様相は前半とはなはだしく異なる。
全六篇、「妻に対する夫のゆがんた――でも、だからこそまっとうでありうるはずの情欲を描いた」とあるが、前半は「まっとうでありうるはずの」、後半は「ゆがんだ」に力点が置かれているように感じられた。単行本収録の順序が発表順序だとすれば、家族小説の延長でポルノを書くことのネタが尽きて…と思ったけれど、ことはそう簡単ではないようである。
著者の言葉を重松さんはこう締めくくる。

今後も夫婦や家族の物語を書きつづけたいから、性から逃げたくなかった、のかもしれない。
今後も重松さんの家族・夫婦小説を期待する者としては、性の問題を「官能小説」というかたちで特別扱いしてしまうのではなく、ごくありふれた家族・夫婦の関係のなかに置かれた問題として、そのときどきの時代相のなかで書いてもらいたいものだ。

*1:ISBN4062111101

*2:ISBN4062121808