入り口と思ったらそこは出口

江戸東京《奇想》徘徊記

このところすっかり川本三郎的町歩きのとりこになっている。人間で混雑していない町や路地奥をひとしきり歩いたあと、おもむろに安居酒屋に入って酎ハイで人心地つく。こんなことをいつかやってみたい。
この川本三郎的町歩きには先達がいる。種村季弘さんである。
川本さんは種村さんの『食物漫遊記』『書物漫遊記』二冊を評して次のように書く。

食物や書物を語りながら、種村さんは、失われた昭和二十年代の風景を思い出している。“池袋の少年”の個人的記憶のなかにしか残っていない、忘れられた近過去を語ろうとしている。その近過去へ戻る入り口があるのが、場末の安酒場である。種村さんが好んで酒場ののれんをくぐるのはそのためである。(河出書房新社刊『種村季弘のネオ・ラビリントス6 食物読本』の解説)
食物や書物を通して失われた東京の近過去を語る語り部だった種村さんが、とうとう東京の町を「徘徊」した本を出した。新著『江戸東京《奇想》徘徊記』*1朝日新聞社)である。
散歩・散策でなく「徘徊」とするのがいかにも種村さんらしい。しかもたんなる徘徊記に終わっていないのも種村流。書名にあるように、江戸の随筆や戯作を縦横に駆使し、歌舞伎や落語まで動員して、徘徊した町の古層を掘り起こす。
川本さんの文章にもあるが、種村さんは池袋で生まれ育った。だから池袋を中心とした東京北東部には子供のころの思い出があちこちに散らばっている。
第23章の板橋宿の回から第28章の池袋生家探訪の回あたりまで、板橋・王子・大塚・池袋を語りだすと、別の回では主役だった江戸の世界がいつのまにか後景にしりぞき、戦前から戦後にかけての思い出話が舞台の中央に躍り出ている。
川本さんが書いたように、種村さんはこれまでさまざまな事柄を媒介に自らの若い頃と東京の町の関わりをふりかえる文章を書いてはいるけれども、これほどまとまったかたちで思い出話を綴ったものはないのではないか。種村版『狐のだんぶくろ』的書物がついにお目見えしたという感じだ。
大塚儒者棄場などというなんとも陰惨な名前の墓所がいまも東京にあるなんて知らなかった。種村さんの歩いたあとをたどり、大塚を「徘徊」したくなってきた。
私の東京への関心は、種村さんが編んだちくま文庫『東京百話』に触れたこと(読んだこと、ではない)が一つのきっかけになっているが、当の種村さんによる東京の本がついに出たということで感慨もひとしおだ。
川本さんは、種村さんが好んでのれんをくぐる場末の居酒屋を「近過去へ戻る入り口」とした。本書ではむしろ、東京の町をひとわたり歩いたあと、疲れた体を休ませるために居酒屋ののれんをくぐる。
とすれば本書の場合居酒屋の入り口は入り口でなく、むしろ出口といったほうがいいか。近過去、さらには江戸までちょっと旅してきた種村さんが21世紀の世界に戻ってくる出口が場末の居酒屋にあるのかもしれない。

*1:ISBN4022578890