散歩も古本も植草甚一も…

植草甚一コラージュ日記1

植草甚一コラージュ日記1』*1(瀬戸俊一編、平凡社)を読み終えた。本書は『植草甚一スクラップ・ブック』全41巻(晶文社)の月報に連載された手書きの日記をそのまま二冊本として刊行するもので、今回読んだ第一巻は「東京編」として1976年の1月から7月までの七ヶ月間の毎日の日記が掲載されている。
もとより植草さんは日記を付けており、それはその日手に入れたラベルやレシートなどが貼り込まれたもので、文字も走り書きになっている(本書202・203頁に写真所載)。この「コラージュ日記」は元の日記からあらためて一日の記事を清書しなおしたものであり、“植草体”とでも名付けてトゥルータイプフォントを生成しても通用するような丁寧な楷書でしたためられ、また日によって異なるペンで書かれていたりするので、線の細さ太さの違いを見比べる楽しみ方もある。
書名の「コラージュ」というのは、植草さんが得意としていたコラージュの上に文字が配された、それだけでも一種の作品となっているからで、書かれた内容、文字の太さだけでなくこれらのコラージュ作品も目を楽しませる。
ところで私は植草さんの本は二冊しか持っておらず、まともに読んだことがない。一冊は『ぼくのニューヨーク地図ができるまで』晶文社)で、これは去年の忘年会オフの企画「本のドラフト会議」において交換で獲得した。
いま一冊は、上記「スクラップ・ブック」の最終回配本であった第39巻植草甚一日記』である。綾瀬のデカダン文庫で購った。こちらはすべて活字で、1945年1月から8月15日までと、1970年一年間の日記が収録されている。ゆえに、本書「コラージュ日記」が実質的に植草さんの本を読んだ初めてのものということになる。
古本・散歩・蒐集・ミステリという近しい趣味をもった人であったから、むろん以前から知らないわけではなかったけれど、そうした重なりあう面積以上に肌合いが合いそうにない部分の大きさが推し量られ、近づきがたかったのである。今回日記を読んでみて、このような心配は霧消した。
植草さんは世田谷区の経堂に住んでいた。原稿執筆や来客の応対にくたびれるとブラリと散歩に出て、行きつけの古書店遠藤書店で古本を買い求める。すぐに家には帰らずに喫茶店に立ち寄って、買ったばかりの古本をパラパラと読むこともあった。仕事で町に出ては古本屋に入り気に入った古本を何冊も抱え込む。
そんな散歩と古本買いの魅惑に満ちあふれた日記を読んで、「自分も」と動かされない人は、まずいないだろう。ああ、散歩がしたい。古本を買いたい。

散歩に出たら渋谷ゆきバスが来たので、池波の本を持ったまま乗ってしまう。渋谷で降りたら知らない方向へ行くバスがとまっているので乗ってみた。終点で降りたら見当がつかない。ディスカウント・ショップがあった。フランス製のビッグ・ジャンという木肌つきの農夫が吸うような大型パイプを一五〇〇円で買っただけで、どうにか渋谷へ引っ返したが、こんなにグルグル回りするバスもはじめてだった。(7月5日)
経堂の遠藤書店はいまも健在らしい。『東京 古本とコーヒー巡り』散歩の達人ブックス[大人の自由時間]シリーズ、交通新聞社)には経堂駅の反対側にある支店が紹介されていて、二代目主人による植草さんの思い出が紹介されている。
以前同書を読んだときにも紹介したのだが(2/23条)、自分の本を見つけてそれがなかなか売れないとき、植草さんは勝手にその本にサインをしてしまうのだそうだ。
今回の「コラージュ日記」に、この行動とおぼしき記述を見つけた。
やっとペラ四枚まで書けたので遠藤まで出かけて古本六冊(二七〇〇円)ぼくの古本が、二冊あったのでサインしたら、…(3月4日)
遠藤書店と植草甚一といえば、これまた以前触れたが、沢木耕太郎さんの植草甚一へのオマージュとも言うべき佳品「ぼくも散歩と古本が好き」新潮文庫『バーボン・ストリート』所収)を思い出す。読み返してみると、沢木さんはまさにこの「コラージュ日記」が綴られていた時期に同じ経堂に住み、遠藤書店で古本探しを楽しむ植草さんを何度も見かけたという。
日記を読んで書かれている東京の古本屋のたたずまいに思いをはせ、古本買いの愉しみに誘われた。また沢木耕太郎さんの文章に触れて植草さんのライフ・スタイルに対する憧れにも似た気持ちが芽ばえてきた。
ああ、知らない町の古本屋にぶらりと出かけたい。