Fの寓意

ビタミンF

ここ数年の間に、自分のなかで心境が変化しつつあるということを実感している。「心境の変化」とはすこぶる曖昧な表現だが、こういうことだ。
結婚し、職を得て東京に移り住み、子供が生まれ、その子供が幼稚園に入った。20代後半から30代前半にかけて、慌ただしく時間が過ぎ去っていった。
30も半ばを超えたいま、ふと立ち止まり将来を想像してみる。この先自分には、そして自分の家族にはどのような未来が待ち受けているのだろう。いま住む巨大都市は、果たして自分にとってプラスなのかマイナスなのか、家族にとってどうなのか、いまだに見定めがつかない。
ともかくいまのところ私と妻と息子の3人は、これまでの、そして今後展開される「家族の歴史」のなかでも良い時代のなかにいることは確かだ。そう信じたい。
「家族の歴史」などという大げさなことを考えたのにも理由がある。重松清さんの直木賞受賞作『ビタミンF』*1新潮文庫)を読んだのである。
本書は7篇の短篇から成る短篇集で、主人公はいずれも30代後半から40にかけての男性およびその家族。人生の中途半端な時期を迎え、仕事での人間関係にも、夫婦の関係、および子供との関係にも何かしら歪みが生じてくる。とりわけ成長するにつれて自己主張が強くなる子供とのコミュニケーションが難しい。これからもう自分の人生は下り坂なのか…、そんなため息が漏れる。
たまたま先月文庫に入った本書の表紙が、人形作家石塚公昭さんの制作にかかる家族三人像であり、彼らが橋の上からマンションを見上げる写真であることに惹かれて買おうと思い立った。
重松清さんは、その少し前に『山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇』(新潮文庫)の編者、また、『小説新潮』で山口瞳特集が行なわれたさいの歴代編集者座談会の司会をされていたことから気になっていた。そのうえにカバーの人形と写真。しかも目次を見ると解説は堀江敏幸さんだった。これは買わなければならない。
読みはじめて一気に惹き込まれた。重松さんは1963年生まれで、私より4歳年上。解説の堀江さんは重松さんの一つ下。そんな世代的な親近感を感じながら、重松さんのつむぎだす家族の物語に、自らの家族の過去や未来を重ね合わせて切なくなった。家族を持つ30代後半の男の心情というものがこれほどまでにリアルに描かれている作品だったとは、迂闊にも知らないでいたのである。
家族だけではない。三十男から見る現代社会の姿も生々しい。

人生の折り返し点をすでに過ぎたのか間もなく過ぎるのかは知らないが、とにかく三十八年も生きて、じゅうぶんにおとなになって、幽霊が怖かったこどもの頃よりもずっと心細い思いで夜道を歩かなければならなくなるなど、若い頃には思いもよらなかった。(「ゲンコツ」)
そうそうと思いながら読み進める。私も以前人生の折り返し点について考えをめぐらしたことがある(2002/8/8条参照)。同世代の男はやはり皆同じようなことを考えるのだろうか。
「なぎさホテルにて」で37歳の主人公は、妻の一挙手一投足に理由のない苛立ちを感じ始め、離婚を決意するに至る。そんな父母の関係を薄々察しているらしい息子を見ながら、息子が自分と同じ37歳になったときをぼんやりと想像し、また父親の37歳の時に思いを馳せ、37歳前後という時間をこのように定義する。
「こどもの頃は数えきれないほどあった「もしも」の選択肢がどんどん減っていくのを肌で感じ取り、といって、まだ選択肢がすべてなくなってしまったわけではない、そんな中途半端な数年間」
大変だけれども、子供が無邪気なうちがまだ幸せだ。かわいい娘に彼氏ができたらしい。その彼というのが札付きのワルで、娘が一本気に想っている向こう側で他の女の子とも遊んでいる。注意をしても娘は聞く耳をもたない。そんな「パンドラ」の40歳になる主人公は、土日に家にいることが逆に重苦しくなる。
先に「家族の歴史」という言葉を出したのは、重松さんが本書の各篇のなかで主人公の男たちに「家族の歴史」について考えさせていることが、まさに自分の心境と合致する思いだったからである。
時間に追われ忙しなく生きている「いま」からそっと離れて立ち止まり、そこから冷静に自らとその家族の来し方ゆくすえついて考えてみる。そういう時期のただ中に私もいるのかもしれない。
もしも家族の歴史でいちばん楽しかった頃を訊かれたなら、いつになるだろう。時間をうんとさかのぼってしまうことになるだろうか。少なくとも、いまではないし、これから、でもなさそうな気がする。(「パンドラ」)
息子と二人で遊びに出かけられるのも、せいぜいあと一、二年というところだろう。家族の歴史の序盤戦はもうすぐ終わりなんだな、と受け入れた。まだまだ先は長いんだけどな、とも。(同上)
たぶんあと何年かすれば、ここに登場する父親たちの境地にさらに近づいている自分がいるだろう。少し前までは、子供の将来も家族の将来も「成り行きに任せればいいんだ」と開き直っていたはずなのに、どこかへ向かうレールを敷かねばならぬと思いはじめ、またそのレールから外れたときにどうしようといらぬ心配を抱くようになった。
「後記」によれば、重松さんはこれらの物語を「炭水化物やタンパク質やカルシウムのような小説が一方にあるのなら、ひとの心にビタミンのようにはたらく小説があったっていい」という思いで書いたという。
Fには、Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortuneという色々な意味を込めたとも言う。本書を読んだことにより、自分も「家族の歴史」について否応なく考えさせられたのだから、このビタミンFは効いたことになるだろう。
本書は私にとって今年のベストテンはおろか五本の指に入ることになるだろうことはまず間違いない。