フィジカルな荷風論

わが荷風

世に永井荷風論は数多あれど、とりわけ愛読者の多さと高い評価で群を抜き、また、いまだに新鮮さを失わず、荷風論といえば必ずといっていいほど言及されるのは、野口冨士男さんの『わが荷風だろう。私がその存在を知ったときにはすでに中公文庫版は品切になっていた。以来渇望していた本書が講談社文芸文庫*1としてふたたび陽の目を見たので入手し、さっそく読み終えた。
数年前、今は閉店してしまった新宿の古書店高原書店で本書の中公文庫版を見かけたことがある。1000円だった。さほど高価というわけではないが、そのときの財布の中身(寒々しかった)と相談し、他に買いたい本と天秤にかけた結果、泣く泣く見送った。その後しばらく出会うことなく、今回ようやく講談社文芸文庫版で再会を果たしたが、定価が1400円もする。古書価より高い。まあそのとき買っていればあるいは積読になっていたかもしれないから、この差額こそが読書のモチベーションにつながったと理解しておこう。
さて本書については、たとえば現代における荷風論の第一人者川本三郎さんは「毎年というほどではないまでも繰返し読んでいる本」として、荷風の『墨東綺譚』(「墨」にはさんずいあり)、同じ野口さんの『私のなかの東京』と並んであげておられ(「野口冨士男『私のなかの東京』」、河出文庫『東京残影』所収)、隅田川玉の井、浅草、洲崎……東京の町を歩くことと、荷風の作品のなかを歩くことが、みごとに溶け合っていて、学者の研究室から生まれたものにはない、“東京の香り”がする」(「私の好きな荷風関連本」、日本文芸社『夢の日だまり』所収)と評されている。
一読して、本書が川本さんに愛惜されるほどの荷風論であることに納得した。荷風を読むと、その作品に描かれた場所を歩いてみたくなる。荷風作品にはそんな喚起力がある。荷風を体感したくなるのだ。本書はまさにその先駆的作品であると言ってよい。
ある日野口さんは、カメラを提げ、荷風が随筆で描いた深川を自分の足でたどりなおす。

…全身汗みずくになって歩きつづけた末に、出る汗がなくなると結晶した塩分で肌がジャリジャリするような状態になった。(69頁)
『腕くらべ』は、私家版から一万数千語が削除されて流布したテクストが定本となっている。野口さんは、かつて自分が読んだ流布本と私家版との間の一万数千語の相違点を原稿用紙に筆写したという友人から筆写原稿を借り受け、それをノートブックに細字で書き写し、自分が所有する岩波文庫版の削除箇所に切り貼りして、自分だけの『腕くらべ』決定版を拵えた(「5 麻布十番までの道」)。
また、玉の井が舞台となっている『墨東綺譚』から、吉原を舞台にして構想されるも幻に終わった『冬扇記』の起筆−中絶を経て、『おもかげ』が生み出される過程を考察するため、『断腸亭日乗』を丹念に読み込み、この時期(昭和十年代初め)の荷風玉の井・浅草・吉原がよいの頻度を算出する(「9 繁華殊に著しく」)。
『わが荷風』には、このように、汗が結晶してジャリジャリになるまで歩き、自らの手でこまめに字を筆写し切り貼りして原型を復元し、日記をめくりかえして数字を調べ上げ集計するというような、体感的に荷風作品を味わっていった体験が語られている。世の“荷風好き”の大半はこうした野口さんの荷風作品享受のスタイルに深く共感するのではあるまいか。当然、私もその一人である。
作品論としても興味深い。『墨東綺譚』で荷風文学は燃焼し尽くしたという辛口の見方(もっともこれが一般的見解か)をする野口さんは、戦後発表された作品群に対して詩魂を失っていると厳しく批判する。その一方で、戦後作品の中途半端さについて、吉行淳之介・日高普両氏の説を敷衍しながら、これらが元来は「猥文」(春本)として執筆され、いま流布しているテクストはこの導入部や一部に過ぎないのでないかと推測する。戦後に発表された作品の大半を読んだことのない私にとって、戦後作品を読むことへの興味を掻きたてさせられるに十分な推論であった。