川の記憶

川を旅する

池内紀さんの『川を旅する』*1ちくまプリマー新書)を読み終えた。
本書はいまはなき雑誌『FRONT』に連載された。その初めの36回分がまとめられた『川の旅』(青土社)の続編だという。『川の旅』であれば、すでに読んで感想を書いている(→旧読前読後2002/7/6条)。そこでわたしは、故郷にあった川を例にとり、自らが「合流点好き」であることを告白した。重複をいとわず、自分の川との関わりをいま一度ふりかえってみたい。
わたしの故郷には最上川という大河がある。山形市内を流れる“芋煮会*2の名所馬見ヶ崎川が、宮崎駿監督のアニメ「おもひでぽろぽろ」で知られる高瀬地区から流れる高瀬川と合流すると、「白川」と名前を変える。小学校の学区の南の境界線が、二つの川の合流点だった。
ある二つの川が合流して別の名前になるという不思議。住んでいた地区から町中へ出るバス路線が、合流点付近に架かる橋を通る。その橋にさしかかると、必ず目は合流点のほうに向いていた。白川はわが中学校の脇を通り、山形盆地の西側を流れる須川と合流して、まもなく最上川に注ぐ。白川・須川の合流点が、中学校学区の北西端付近だった。
またいっぽうで、小・中学校学区と、北に接する天童市との境界に流れているのが、東の山寺から流れてくる立谷川だった。わたしの学区の町内会では、もっぱらこの河原で芋煮会をした。川沿いにサイクリング道路が設けられており、中学の入学祝いに買ってもらった五段変速の自転車に乗って、友人たちと立谷川を遡って山寺まで幾度もサイクリングしたことが懐かしい。
盆地に育ったわたしは、蔵王や月山など、盆地を取り囲む個性的な山々の記憶が強く、それら山々を見るにつけ故郷に帰ってきたことを実感すると思っていた。でも本書を読んであらためて過去をふりかえれば、むしろ記憶の最深部で故郷の風景を支えていたのは、川ではなかったのか。
池内さんの本の終章「川を巡りながら考えた」に、こんな一節がある。

本流、支流を問わず、川ごとにちがった顔がある。河口はわりと似ていても、さかのぼるにつれ川の個性があらわれる。合流点の三角洲を観察すると気がつくが、合流する川の水の色がちがっている。それぞれの上流部の土質や風土がちがうからだ。とうぜん流域の暮らし方もちがっている。(199-200頁)
これを単純に「川の風土」「川の文化」とひと言で片づけてしまうことを池内さんは慎んでいるが、川に親しんでいると、たしかにその違いを肌で感じることがあるものだ、と、さらにそのあとに書かれている文章を読んで気づかされた。
岩手県北上川胆沢川とのあいだに、わが国最大といわれる扇状地がひろがっている。河岸段丘であって、扇の要から出た水は扇の下層を巡っても上にはこない。(203頁)
妻の実家が「岩手県北上川胆沢川とのあいだ」付近にある。最初に訪れたとき、自分の記憶に刻まれた故郷の風景とは異質な景観にひどく違和感をおぼえた。同じ盆地と言っていいのに、この違いは何なのか。出羽と陸奥日本海側と太平洋側の違いなのか。
ずっとそう考えていたけれど、池内さんの文章を読んで、この違和感は川が形づくる河岸段丘が大きいのではないかと思ったのである。
山形盆地は最上川という大河がゆったりと中央部を流れ、わたしが暮らしていた地域は平坦だった。しかし妻の実家付近は、胆沢川やその支流が複雑な河岸段丘を形づくり、起伏が激しく、ところどころに人間の手が加えられていないような森林が広がっている。
これほどまでに川の記憶が故郷の心象風景を規定していたなんて、池内さんの本を読むまで意識していなかったのだった。

*1:ISBN:9784480687630

*2:偶然だが、明日2日、全国ニュースにも取り上げられるジャンボ鍋を使った「日本一の芋煮会フェスティバル」がこの河原で開催される。

わが母校の100年

今年わが母校東北大学は創立100周年を迎えた。これを記念して、大学が所蔵する史・資料(古文書や考古遺物、標本など)を一堂に展示する展覧会が今日から始まった。
わたしの出身研究室の先生や先輩方がこの企画に深く関わり、招待券も送っていただいたこともあり、初日にさっそく駆けつける。模範的な卒業生ですなあ。
この企画展は、江戸博の常設展示室のなかにある企画展示室の一室で開催されている。上の企画展示室では「後藤新平展」開催中。話がわき道にそれるが、入口付近に展示されていた、関東大震災後の震災復興局(後藤が総裁)が制作した都心の復興模型が見ていて飽きない。土地の起伏まできちんと再現されているのだ。
さて「東北大学の至宝」展。大学にこんな面白い物があったのだなあと驚いてしまった。まあ自分の専門とかかわる古文書類は知っていたけれど、動物の角や骨から作られた銛などの狩猟・漁労具や、遮光器土偶アンモナイトの化石などなど。
河口慧海の集めたチベットの仏像や仏教美術品などは、文学部の建物内にあった一室で見たことがあるようにうっすらと記憶しているが、とすれば約20年ぶりに再会したことになる。
また東北大の名物教授陣紹介では、中国文学の青木正児がいた。青木が東北大中文の初代教授だったなんて、知らなかった。
初日の今日は、現在大学史料館に勤務されている研究室の先輩がフロアレクチャーをされるということもあり、その時間に合うように展示を回る。自分の存在に気づかれぬよう、離れて説明を聞く。今日は初日で総説的な内容であったこともあり、展示をゆっくり回りながら説明されたので、30分程度の予定が大幅に超過したようだ。
東北大の場合、東大京大のように、マスメディアに知られるような教授は必ずしも多いわけではない。恥ずかしながら今日初めて名前を知ったような理系の先生もいる。でもおそらく、その分野では泰斗と呼ばれるような方々なのだろう。いかにもこの大学らしく、華やかというより堅実な研究を積み重ねてきた先生方と言うべきか。
東北大創立100周年関係の展示は、実はこれだけではない。これとは別に、今月26日から、江戸博の1階企画展示室のほうで、夏目漱石展(「文豪・夏目漱石―そのこころとまなざし―」)が始まる。
こちらは東北大創立100周年に加え、漱石朝日新聞社入社100年、江戸博開館15周年を記念して、東北大と朝日新聞社・江戸博が共催する大規模なもので、東北大学が所蔵する「漱石文庫」の資料を中心に漱石の一生をたどる期待の展覧会である。
ホームページを見ると*1、入口では「体格から皮膚の感じまで精巧に作られた」漱石の等身大マネキン(!)が出迎えてくれるそうだ。
東北大展を目当てに江戸博にわざわざ来るのは、わたしのような卒業生くらいしかいないように思えるが、漱石展はたぶん大盛況が予測される。もちろんこちらも招待券をいただいたので、早いうちに観に行く予定。いったいどんな展覧会になっているのか、とても楽しみだ。
【追記】
東北大学の至宝」展は、10月14日まで江戸博で開催され、11月2日から仙台市博物館でも開催される(12月9日まで)。図録を見ると仙台市博展のほうが点数が多い。「仙台にある大学」という歴史を示す資料や、古文書・標本などが加えられるようである。
図録にも写真が掲載されているが、仙台市博展で展示されるなかに「森潤三郎氏旧蔵米原文書」がある。森潤三郎とは鴎外森林太郎の末弟で、歴史家・収集家であった。潤三郎の蒐集史料は、没後鴎外の長男於菟氏の次男富(とむ)氏が継承した。鴎外の孫富氏は東北大学医学部教授であり、富氏はこれら森潤三郎旧蔵史料を東北大学附属図書館に寄贈されたのである。
これらの史料が本格的に調査・公開されたさい、縁あってそのお手伝いをさせていただいた。一度富氏と関係者が挨拶かたがた顔合わせをするというので、仙台に駆けつけ、在学中は入る機会などなかった附属図書館長室にて直接森富氏にお目にかかり、潤三郎氏思い出話や文書相続の経緯をうかがった。
その後図書館の貴重書収蔵室に案内され、「漱石文庫」を直接拝見できたのである。鴎外のお孫さんが漱石の遺品を観る、そんな滅多にない歴史的場面の目撃者となる栄に浴したのは、いまなお忘れられない体験である。
たまたま今日の朝刊を開いたら、その富氏の訃報が目に飛び込んできた。86歳、肺炎でお亡くなりになったという。わたしがお会いした数年前には矍鑠としてまだまだお元気という雰囲気だったし、縁の深い森潤三郎旧蔵文書が展覧会で多くの人の目に触れようとする直前ということもあって、大きなショックを受けた。
きっと富氏も今回の「東北大学の至宝」展や漱石展に招待されていただろうに、残念きわまりない。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。