社会派推理作家の晩節

草の径

先日読んだ水上勉『文壇放浪』*1新潮文庫、→1/21条)のなかで、「雁の寺」で直木賞を受賞し文壇デビューを果たした水上さんが、文壇の諸先輩から「これからは社会派推理小説じゃなく人間を書かなければならない」という意味の激励を送られたというくだりがあって、ひっかかった。
つまり社会派推理小説は人間を書く小説ではないという前提でこうした発言がなされたことになるからだ。一般的認識では、社会派推理小説とは、現代社会の矛盾などをミステリの手法を借りて表現するもので、そこに登場する人間たちはその駒のひとつに過ぎず、それぞれの人間の人生を描くのが主題ではないということになろうか。
社会派推理小説の書き手として売り出した水上さんであるが、人間を描くことこそが小説であるという持論の吉田健一から「雁の寺」以下四部作を激賞されたように、もともと人間を書く小説家としても定評があったものとみえる。だから先輩からの忠告は、社会派推理小説という手法から離れろということであったわけだ。
そんなふうに敵視されていた社会派推理小説の領袖といえば、松本清張である。吉田健一『大衆文学時評』では見事に松本清張作品は触れられていない。しかしだからといって、清張作品が人間を描いていないかというと、これもまた違うと言えるのではないか。
人間なら誰しも抱く(とはかぎらないか)劣等感や嫉妬、そこから発する猜疑心や憎悪、そんな負の感情が人間のなかに発生するメカニズムを見事にとらえ、それらが発露する現象として犯罪というものを描く。決して蔑まれるような性質のものではないと思う。
晩年の連作短篇集『草の径』*2(文春文庫)は、そんな初期の頃からの主題が円熟味を帯び、枯淡の域に達した作品集だった。時流に置き去りにされた権力者、人生に敗れた者、有名な人物の陰に隠れて社会に埋もれたまま人生を過した人間、人に追われやむなく市井に身を隠して生きなければならなかった男、そんな裏通りを生きた人びとの妄執が、多くは犯罪という現象を借りずに淡々と描かれる。
とりわけ印象深いのは、「「学界」という、不快な、世俗的な幻影」から離れ、美貌の妻を日本に残したままドイツに一人考古学の発掘のため私費留学している大学教師を描いた「ネッカー川の影」。彼の野望とはうらはらに、日本に残された妻の行動を描いた結末は酷薄だ。学界における学者同士の葛藤ということでは、初期の頃にもっとドロドロと嫉妬が表面に露出した傑作が多くあるけれど、もはや「ネッカー川の影」はそこから超然としている。
また、胃癌のため死を覚悟している男が、一人病院の個室で寝ていて、死の影に怯えつつ、亡父の来し方をゆっくりと思い出すことで精神の安らぎを得ていく「夜が怕い」も味わい深い。とくにストーリーがあるわけではない。人生の終末に臨んでいる人間が、艱難辛苦だったに違いない人生のすべてを息子に話すことなく逝った父親の背中を追憶する。ただそれだけなのに、父と息子の人生が二重映しとなって読む者の胸を打つのである。

ひろいよみ夢声日記(1)

岩田牡丹亭と錦城出版社を訪れ、ブラブラ清水谷から四谷へ出る。松葉屋でニッカ一本手に入れる。牡丹亭は葡萄酒を一本。元日約束のサント十二年をとりに牡丹亭荻窪まで来る。仏印コーヒーを入れる。「南の風」に仏印コーヒー礼讃を書いたが、実物はこれが始めてと牡丹亭。(テキストは中公文庫版『夢声戦争日記(一)』)
昨日のロッパ日記と同じ日付。岩田牡丹亭とは、岩田豊雄すなわち獅子文六。この日赤坂で岩田・夢声近藤日出造三人で「新映画」誌の座談会があったその帰りの出来事。
昨日は、対米開戦直後には大都市ですでに食糧不足が始まっていたと、それまでの認識を改めたように書いた。ところが古川緑波永井荷風二人の日記から一般的状況を普遍化するのも拙速だったようだ。
たとえば前日30日、浅草花月劇場に出演中の夢声は、公演の合間に立食いすし屋で「ひらめ、こはだ、えび。海老甚だ堂々たるもの、てんぷらにしたらばと想う」という食事をとっている。
結論。「あるところにはあった」。