本棚は本を引き寄せる

本棚の歴史

大学に入学してひとり暮らしを始めたとき、ワンルームの部屋のなかに本棚を一本置いた。そこには、これから学んでいく科目の教科書や辞書のほか、実家から持っていった横溝正史の角川文庫本数冊が並んでいたのみ。
その後読書を好むようになるにつれ本棚に並ぶ本も多くなり、一本では足りなくなった。何度か引っ越しを繰り返していくうち本棚の本数も増え、一部屋の窓と机がある場所以外の壁すべてを本棚が占めるようになった。本棚が増え、そこにびっしりと収められた本を眺めることが好きだった。本棚の本数が増えることを喜んだ。友人たちと本棚の数を競い合ったりした。
本棚とは畢竟収納具である。機能性がすぐれているにこしたことがない。しかし厄介なもので、人によってはそれに装飾性を求める。本に愛着を持てば持つほど、それらを収める本棚に装飾性をも求める傾向があるようだ。
私の場合、合板のスライド式書棚と文庫書棚がそれぞれ一つあるほか、6本ある書棚はごくふつうのスチール書棚であり、これ以上書棚に望むものはない。むしろ書棚を収める空間(部屋)が欲しい。書棚に収めきれなくなった本が床に積まれ、その山が増殖してしまい手を伸ばしても書棚に手が届かないという距離感を認識するにつれ、書棚への執着心(心理的な距離感)も薄れていく。
背を見せて整然と並ぶ本を眺めていると心が落ち着く。ところが未来の人びとにとって、こうした書棚の姿はひょっとしたら過去の限定された一時期のものであるかもしれない。書棚は書物のあり方と分かちがたく結びついている。ヘンリー・ペトロスキー(池田栄一訳)『本棚の歴史』*1白水社)を読むとそのことがよくわかる。
活字で印刷され綴じられた書物というあり方が変容を迫られつつある現在、“書物の歴史”といったたぐいの本が多く出版され、いずれも知的刺激にあふれた内容で読んでいて愉しいものばかりである。
本書がこれら先行する書物史の本と異なりユニークなのは、書き手が文化史家でなく、技術史家であることだろう。著者ペトロスキー氏は米デューク大学の土木環境工学・建築土木史の教授であり、そのため本書では建築工学的視点から本棚という「収納具」の歴史が捉えられている。
活字本以前の書物は羊皮紙に書かれた手写本であり貴重品だった。それゆえ書物には鎖が取り付けられ、その一方は机に繋がれて持ち去られない仕掛けがほどこされていた。鎖は書物の前小口に取り付けられていたため、本は前小口を前面に向け書棚に収められることになる。活字本になっても前小口を前面に置く方法は変わらなかったため、いまのように本の背に書名が書かれるということはなかったのである。
ところが活版印刷の普及により大量印刷が可能となるにつれ、刊行される書物も幾何級数的に増大する。本を収蔵する図書館ではその収蔵システムの再検討を迫られる。現在のように書物の背に書名が印刷され、背を前面に向けて書棚に収められるようになった遠因は、活版印刷の普及にあるわけだ。
また増える本は図書館のスペースをも浸食する。手写本の時代、本棚は書見台付机の上部に一体化したものだった(ストール・システム)。活字本の時代になると、図書館の壁一面に書棚を作りつけるウォール・システムが考案される。
壁面という壁面が書棚に占められるようになると次の問題となったのは採光だった。窓が書棚にふさがれてしまったのである。もとより書棚の絶対数も次第に不足してくる。
そこで現在図書館の書庫といって私たちがイメージする、壁と垂直に本棚が並ぶ姿に変化するに至る。この垂直の書棚が可動式となっているのが、このスタイルの到達点だろうか。
このように本書では、書棚の形・置き方という工学的問題や、採光の問題など、書物の歴史が別の角度から捉え直されるのである。
訳者は「技術史家としては一流のペトロスキーだが、エッセイ風の記述となると、それほど達者とはいいがたい」(「訳者あとがき」)との理由から、個人的エピソードが羅列してある第一章や最終章を大きく刈り込んだという。しかし私はそこがなかなか面白いと思った。普通に書物を愛する一人の人間としての書物に対する姿勢がうかがえて、深い共感をおぼえたのである。

豪華でも質素でも、家やアパートを引き払うときは、本棚から本を取り出し、たいていは、もっといい本棚を期待しながら移動することになる。その後、がらんとした場所に残る空の棚は、本を所有する多くの人間に不気味な印象を与える。本が入っていない収納スペースがあまりにもたくさんあるのは、不自然な現象に思えるからだ。(259頁)
最近、書斎を新しくし、前より立派な本棚をたくさん入れたが、それもけっこう埋まってしまった。空でも満杯でも、本棚が本を引き寄せるのは自然の法則らしい。こうした本たちはかなりの距離を引き寄せられてくる。隣町の古本屋や、州外から、あるいは海を越えて来ることもある。(267頁)
技術史としての「本棚の歴史」は専門的でいいけれど、本好きの率直な気持ちが伝わってくる微笑ましさもまた、捨てがたいのではあるまいか。

丹羽文雄『魔身』(中公文庫)
「祖母との秘事を重ねてきた女婿の父は、檀家の女とも通じて寺を去り、母も家出した」(カバー裏梗概)という長篇。カバー、100円。
辻邦生『モンマルトル日記』(集英社文庫
1968年、パリ・モンマルトルに滞在したときの日記。カバー、100円。
近藤富枝鹿鳴館貴婦人考』(講談社文庫)ISBN4061831208
ダブり。カバー帯、100円。
水上勉(日〓貞夫写真)『若狭の道』(旺文社文庫)ISBN4010613890
若狭についての写真文集。カバー、250円。
菊地信義『装幀談義』(ちくま文庫)ISBN4480023968
好きなブックデザイナー菊地信義さんの装幀ノウハウ。カバー帯、250円。
高見順『昭和文学盛衰史』(文春文庫)ISBN4167249049
「あったらいいなあ」という程度の感覚で探していた本が、こんなところで、しかも安く見つかるとは。カバー帯、300円。
小林信彦『地獄の映画館』(集英社文庫)ISBN4087507637
60年代の映画エッセイ集。カバー、250円。
源氏鶏太『春雨酒場』(角川文庫)
短篇集。カバー帯、100円。

昼休み、本郷通りを歩いていたら、赤門前の前衛的なデザインのビル(スカイビジョンビル)にこの名前が掲げられていたのを発見。前からここにあったかなあ。なかったような気がするのだが、でもお店の名前は聞いたことがある。見上げてみると店内がわずかにうかがえ、ちょっと良さそうな雰囲気。
でも午後に会議が入っており、時計を見るとあと5分しかない。一瞬躊躇するも、足は自然に階段に向かっている。入ってみると、文学(幻想文学も)・人文社会系のいい本が整然と並んでいて興奮。おかげで会議に少し遅刻してしまった。灯台もと暗し。文庫も安くて良質。ここでこんなに安く売って大丈夫なのだろうかと要らぬ心配。時々観測すべき古本屋がこんな近場に見つかって嬉しい。
閉店時間を聞いて退勤後いまいちど訪れ、じっくりと店内を見て回り、追加して購入。

車谷長吉赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)ISBN4167654016
もともと興味はあったのだけれど、このところの映画の評判の高さや、『書店風雲録』での車谷氏の姿を知るにつけ距離が縮まり、この文庫版の解説が川本三郎さんであることで購入決定。安かったし。カバー・帯、200円。
★井崎博之『エノケンと呼ばれた男』(講談社文庫)ISBN406185528X
エノケンの評伝。これまた嬉しい。カバー、250円。
阿刀田高松本清張あらかると』(中央公論社)ISBN4120027341
阿刀田さんが編んだ「松本清張小説セレクション」全36巻の巻末解説を集めた本。ライトな松本清張論といった趣で、こんな本があったなんて、これも収穫。カバー、400円。
江國滋『読書日記』(朝日新聞社
「本書ノ内容ハ「日記」ノ形ヲ藉リタ随筆・漫文、スナワチ消閑ノ読物ノツモリデアル」(凡例より)。何度か古本屋で見かけてスルーしてきた本。カバー・帯、300円。