島崎雪子の芳兵衛

「もぐら横丁」(1953年、新東宝
監督・脚本清水宏/原作尾崎一雄/脚本吉村公三郎佐野周二島崎雪子日守新一宇野重吉/若山セツ子/森繁久彌千秋実/和田孝/田中春男/堀越節子/天知茂尾崎士郎檀一雄丹羽文雄

尾崎一雄私小説をそのまま映画化したような作品。主人公佐野周二の役名は「緒方一郎」。若い奥さんの芳兵衛は島崎雪子
などと偉そうに書いているが、尾崎さんの芳兵衛物をちゃんと読んだことはない。ではなぜ知っているのか、自分でもはっきり憶えがない。知友の小説家のエッセイなどで読んだのか、あるいは何かのアンソロジーで尾崎作品を読んだのか。評論などで読んだのか。とにかく天真爛漫な芳兵衛の物語ということだけ、憶えているのである。
そのほがらかな芳兵衛に島崎雪子とは、少し驚いた。この頃の島崎雪子はそういう女優さんだということになるのだろう。「めし」で叔父の上原謙を誘惑する小悪魔的な役柄や、岡本喜八監督の「暗黒街の弾痕」で奇妙な歌を歌う歌手というイメージしかなかった。「めし」は調べてみると「もぐら横丁」より前の作品なのである。とにかくも、この映画での島崎雪子は良かった。
貧乏文士の貧窮生活が、一転芥川賞受賞によりハッピーエンドに終わるという流れ(しかも緒方は芥川賞の賞品である懐中時計をさっそく質に入れるというユーモアもある)だが、点綴される登場人物たちもなかなか面白い。いかにも森繁さんにはまり役という胡散臭い薬売り。売り口上を早口でまくし立て(寅さんを思い出す)、あげくは無断で作家の名を宣伝文に拝借する。口上は一種の森繁さんの芸であろう。また最初の家主の宇野重吉。家賃を滞納されているものの、佐野周二の碁敵になっているあたりの懐の深さ。芥川賞を受賞したとき、宇野重吉は家主をやめ、骨董屋になっている(お祝いに壺をプレゼントする)というのも、原作にあるのかもしれないが何となく宇野重吉っぽい。
そして素晴らしいのが、夫婦が新しく越したもぐら横丁の家の家主である日守新一。この役者さんの存在感はわたしが言うまでもないのだが、ため息が出るほどうまい。見ず知らずの人間には冷酷さを見せる反面で、店子のこととなると親身になって心配してくれるような二面性。嫌味に見えてけっして悪役ではないという微妙な役柄を演じて神品である。
このほか田中春男天知茂も出ていたというのだが、はてどの場面に出ていたものか、さっぱり気づかなかった。尾崎士郎丹羽文雄壇一雄も特別出演していたというのだが、これはラストの受賞祝賀会の出席者のメンバーか。これまた気づかなかった。
壇一雄のばあい、作品では「伴克雄」の役名で和田孝が演じている。もぐら横丁にもともと家を借りていた学生で、住む場所を失い途方に暮れていた緒方夫妻を自分の借家に住まわせ、いろいろと雑用も引き受けてくれるという人のいい若者。尾崎一雄の弟子的な立場だったのだろうか。
日守新一はいいなあなどと思いながら、『ノーサイド』1995年2月号(特集「戦後が匂う映画俳優」)をめくって彼の事跡を探していたら、たまたま天知茂の紹介文も目に入った。天知さんは1985年にくも膜下出血のため54歳の若さで亡くなっている。何となくその頃のことは憶えている。
天知さんといえば、わたしの世代は土曜ワイド劇場の明智シリーズ(江戸川乱歩の美女シリーズ)であるわけだが(このシリーズでいつも見られるヌード場面が、田舎の純真な高校生にとっては刺激的だった)、この頃の天知さんの年齢は現在のわたしとそれほど変わらないと言っていい。わたしも今年でもう45歳。明智小五郎を演じた天知さんは40代後半から50代前半だったので、ほとんど変わらないのである。ちょっぴりショックを受けた。