川本さんとニアミス!

中村登と市川崑

「本の街・神保町」文芸映画特集Vol.1 中村登市川崑神保町シアター

「いろはにほへと」(1960年、松竹大船)
監督中村登/原作・脚本橋本忍佐田啓二伊藤雄之助宮口精二/三井弘次/殿山泰司/織田政雄/藤間紫柳永二郎佐々木孝丸/城山順子/中村是好

わたしの夢は、川本三郎さんと一緒に映画を観ること。
…などと唐突に言うと気持ち悪がられるに違いない。補足して言い直せば、古い日本映画を観るため入った映画館にたまたま川本さんも観に来られていて、同じ時間・空間で川本さんと同じ映画を観るという体験をしたい、ということだ。
ラピュタ阿佐ヶ谷やフィルムセンターなど、川本さんもよく行かれるはずの映画館にわたしもしばしば通っているから、たんにわたしが気づかなかっただけで、ひょっとしたらこれまで場内に川本さんもいらしたことがあるかもしれない。でも気づかないのでは意味がない。川本ファンとしては、「川本さんも同じ映画を観ている!」という気分を味わいながら映画を観てみたいのである。
まだ実現はしないものの、今日はそれに一歩近づいたような気がする。仕事帰り、神保町シアターで開催中の中村登市川崑特集を観るため職場から歩いて神保町に出た。駿河台下から靖国通りを渡り、三省堂脇の横丁からすずらん通りに抜け、さらにそこから神保町シアターのある横丁に入ったとき、ちょうど川本さんとすれ違ったのだった。
そのときの嬉しさ。川本さんの講演は幾度となく拝聴しているけれど(→2007/11/12条)、町ですれ違うといった体験すらまだなかった。砂浜の中から一粒の宝石を探すような東京のなかでは、神保町・映画館そばというのは遭遇率がきわめて高いスポットではあるが、まずそれが叶った。
わたしが観ようとしていた「いろはにほへと」の前は「顔役」だったので、おそらくそれを観て出てこられたのだろう。すれ違いではあったけれど、このことですっかり気分は高揚、今日映画を観に来てよかったという気分になる。「顔役」は郷里山形が舞台(主演の伴淳さんは山形が生んだ代表的喜劇役者だ)なのでわたしも観たかったのだが、あいにく都合がつかずに泣く泣く断念した作品だった。
夢まであと一歩。映画館に入ると川本さんがいらしたという僥倖も、いずれ叶えられるかもしれない。こまめに映画館に足を運ぶにしくはない。
さて今回の中村登市川崑特集、特集前に映画館のサイト*1で招待券プレゼントの募集があったので申し込んでみたら見事当選し、招待券2枚を送っていただいた。感謝である。しかも今年から神保町シアターでは、ポイントカードを導入し、5回観ると1回分の無料券がもらえるという。一回1200円だから、その恩恵を蒙れば1000円見当で観ることができるというわけだ。ありがたい。
この特集で最初に観る映画として選んだのが、橋本忍原作・脚本による社会派サスペンスの「いろはにほへと」だ。高額配当を喧伝して多くの人びとの出資を募り、それを運用してひと儲けしようと旗揚げされた「投資経済会」という会社を運営する人びとと、彼らの行為を詐欺として立件しようと執念深く捜査を進める警視庁捜査二課の刑事を軸とした物語。
刑事が伊藤雄之助、投資経済会側は、社長が佐田啓二、専務理事が宮口精二、会計担当理事が殿山泰司、秘書課長に三井弘次で渉外課長が織田政雄という面々。投資経済会の顔ぶれがもうたまらなく素晴らしい。
チラシの紹介文にもあるように、刑事が伊藤雄之助で、敵役が佐田啓二という、俳優のキャラクターとしてはおよそ反対の配役である点、お見事だ。この作品をたとえばいまリメイクしたとすれば、佐田の役柄は、そのまま息子さんの中井貴一が演じてもはまるだろうと思われる。では伊藤雄之助の刑事は誰がいいのかと考えると、ふさわしい人が思いあたらない。「踊る大捜査線」のイメージでいかりや長介あたりが浮かぶけれど、残念ながら故人である。
宮口・殿山・三井らの、胡散臭げな成金風体が似合う人も、いまいるかどうか*2。敗戦直後闇市でくすぶっていた佐田・三井らが、兄貴分格の宮口と、代書屋をしていた殿山を参謀役にして法律の抜け穴を見つけ、投資会社を設立して大成功を収める。このあたりの回想シーンも面白い。
伊藤雄之助藤間紫の飲み屋でちびちび日本酒を飲みながら藤間にちょっかいを出すといううだつの上がらない刑事。子供二人と、妻(桜むつ子)、老母(浦辺粂子)、妹(城山順子)と小さな家で同居している。
浦辺は孫たちと「いろはかるた」で遊んでいる。伊藤も酔うと「いろは歌」を口ずさむ。浦辺は、いろはかるたの言葉に従って暮らすのがいいのだという人生訓を垂れる。「負けるが勝ち」というわけである。タイトルもこのあたりに由来する。
結局世界的な株価暴落で不況になり(どこかで聞いたような話だ)、佐田らの経営する投資経済会は資金繰りに窮する。元金を取り戻そうとする投資者たちの取り付け騒ぎが起きたすえ会社は崩壊し、そこに逮捕令状をもった伊藤がやって来る。出資者の座り込みにより社屋から一歩も外に出ることができず、とうとう進退窮まったという深夜、佐田・宮口・殿山・三井の四人は、出前のラーメンをすするのが侘びしい。でもそういうラーメンに限って美味しそうなのだ。
さらにこの映画で素晴らしいのはラストである。投資経済会の秘書課長として蝶ネクタイにちょび髭のキザな風体をしていた三井弘次が、成り上がる前の仕事だった香具師に戻り、浅草寺で洋服即売の口上を言い立てている。一人頭1億1250万儲けた、これは本当のことだぞとカメラに向かって叫び、その後国会議事堂が映ってエンドマーク。
佐田らは、自分たちの投資会社が法的な保護を受けられるような法律の制定を望み、国会議員たち(代表が柳永二郎)に資金をばらまいていたのだが、最後に裏切られる。結局政治家はもらうものだけもらって知らぬふり。佐田らだけが馬鹿を見た。そんな政治家に対する揶揄が込められているようだが、それよりもわたしは三井弘次の最後の叫びにしびれた。三井弘次一人をラストにもってきた中村監督の演出に拍手。もうわたしは最近すっかり三井ファンになっている。