1958年の映画と映画の1958年

昭和30年代ノスタルジア

「一粒の麦」(1958年、大映
監督吉村公三郎/脚本新藤兼人千葉茂樹菅原謙二若尾文子東野英治郎松山英太郎浦辺粂子/田中筆子/殿山泰司/上田吉二郎/見明凡太朗/潮万太郎
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「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年、東宝・「ALWAYS 三丁目の夕日」製作委員会)
監督・脚本山崎貴堤真一吉岡秀隆小雪薬師丸ひろ子堀北真希/三浦正和/もたいまさこ須賀健太小清水一揮奥貫薫石丸謙二郎小日向文世木村祐一ピエール瀧益岡徹

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 [DVD]「ALWAYS 続・三丁目の夕日」が公開間近ということで、日本橋にレッド・カーペットを敷いた試写会の模様をテレビで観ていたら映画も観たくなってきた。前篇にあたる「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和ノスタルジアがあからさまなような気がして観なかったのだけれど、続篇を観るのであれば、前篇も観ておかねばなるまい。
ちょうど続篇上映を記念して、神保町シアターでは、川本三郎さんセレクトによる昭和30年代を感じさせる旧作日本映画の特集上映がある。たまたま午後に宮内庁書陵部の展示会を観る予定が入っていた。お濠をはさんで国立近代美術館の向かい側にある書陵部から神保町は目と鼻の先だ。半休をとって展示会ついでに神保町シアターで映画を観ることに決めた。
観たのは「一粒の麦」。福島から集団就職のため上京した少年少女たちが、希望と現実の落差にとまどいながら懸命に生きてゆこうとする物語だ。菅原謙二は就職担当の中学教師で、集団就職する生徒らを上野まで引率してゆく。彼らが就職後も何かと面倒を見てやる熱心ないい先生である。
若尾文子はてっきり就職する側だと思っていたら、菅原の同僚の先生役で、二人は結婚するのであった。なぜそんな勘違いをしていたかと言えば、この作品が紹介されていた川本さんの『続々々映画の昭和雑貨店』*1小学館)の「女工さん」項において、白い三角巾を頭にかぶった若尾のスチール写真が掲載されていたからで、それが「一粒の麦」の紹介文と重なったのである。実は写真は「涙」(川頭義郎監督)という作品のもので、文章中に若尾のことは「「一粒の麦」では菅原謙二の奥さん」と紹介されてあるではないか。
帰宅後観た「ALWAYS 三丁目の夕日」もまた、奇しくも集団就職のため青森から上京した堀北真希の上京シーンから始まる。川に架かった鉄橋を汽車が走り、そのあたりから目にくようになる東京のビルに堀北らはびっくりする。するとあの川は荒川だろうか。
もうひとつの偶然は、「ALWAYS 三丁目の夕日」が、東京タワーが建てられる昭和33年(1958)の物語であるのに対し、「一粒の麦」はその1958年に公開された作品であるということ。かくて「1958年の映画」と「映画の1958年」が、集団就職というキーワードでつながる。
両方とも生徒たちは上野駅で下車する。正面玄関は現在のように歩道橋や高速道路などがないため、モダンな駅舎が映る。当然「一粒の麦」は当時の実写であり、「ALWAYS 三丁目の夕日」はCGなのだろう。
堀北真希も、特技に書いた「自転車修理」の文字を堤真一に間違えられてしまい、堤の自動車修理工場に雇われる羽目になる。そのギャップをぶつけあうことで生じるひと悶着が爆笑物だった。結局彼女もまた希望と現実の差に落胆するのである。
ただ堀北真希はまだ救われる。堤真一薬師丸ひろ子夫婦が営む小さな修理工場と、周囲に住む人びとの暖かさに癒される。ところが「一粒の麦」の生徒たちには容赦なく冷たい現実が襲う。
やはり自動車修理工場に勤め、将来は立派な修理工になるという夢を抱いている少年がいる。ところがその工場で修理したトラックが修理不備により川に転落し、死亡事故を起こしてしまう。工場の評判はがた落ちし、工場主の殿山泰司も工場をたたまざるを得なくなる。
田吉二郎のガラス工場に勤めた二人は、最初約束された給料より安い給料しかもらえず、しかも夜学に通わせるという約束も果たされない。休みも満足にとらせてもらえず、とうとう脱走をはかる。
自動車修理工を目指す少年の恋人である女の子は、ある医院に住み込み、将来は看護婦を目指している。ところがその医院が名古屋に引っ越すというので、やむなく彼と別れることになってしまう。東京で働きながら、休みの日などに集まって連絡を取り合っていた郷里の仲間たちは、次第に散り散りになる。
「一粒の麦」では、母親が急逝したという電報を受け取ったのに、運悪く修理工場から新しい職場に移った日にあたっていたため、帰省することも言い出せない少年に涙する。「ALWAYS 三丁目の夕日」では、母親が堀北に内緒で勤め先の薬師丸らに宛てて出した子供を思う手紙に胸が熱くなる。
よくよく考えてみれば、集団就職の世代というのは、わたしの親とほぼ同年代である。これまで集団就職という社会変動にほとんど関心がなかったが、高度成長期の農村と都市の問題という現代史的関心だけでなく、集団就職のため東京にやってきた(主に東北地方の)少年少女がどのようにして生活していったのかという、一人一人の人間の50年という個人史・家族史への思いも膨らむ二つの映画鑑賞体験だった。