相撲懐旧談

昭和大相撲騒動記

「むかしのことを勉強して何のためになるのだ」という“歴史嫌い”を説得する論法としてよく言われるのは、「いまを知るためには過去を学ばなければならない」というものであろう。ところがこんな抽象的な言葉を何度繰り返し放ったとて、歴史を嫌う人は聞く耳をもってくれない。説得的な、具体例を用意するのがのぞましい。
大山眞人さんの新著『昭和大相撲騒動記―天龍・出羽ヶ嶽・双葉山昭和7年*1平凡社新書)を読んでいてこんなことが頭をよぎったのである。
近年大相撲は危機的状況にあると言われつづけている。強さと個性を兼ね備えた人気力士が少ないこと、強い外国人力士に対抗できる日本人力士がいないこと、格闘スポーツが多様化していること、原因はさまざまあるだろう。
いまでこそ大相撲をテレビで観ることが少なくなったけれど、かつてわたしは大相撲の大ファンだった。物心ついたときはいわゆる「輪北時代」(あるいは「輪湖時代」)と呼ばれた輪島・北の湖全盛時代であり、あのふてぶてしい北の湖(現理事長)が圧倒的な強さを誇っていたにもかかわらず、輪島以下個性あふれる力士がたくさんいて、相撲を観るのがとても楽しかった。
まわりにも相撲好きの友人はけっこういて、番付を共同購入したり、学校のグランドや体育館でよく相撲をとったものだった。いまやそのおもかげは微塵もないけれど、わたしはソップ型(痩せ型)の技巧派であり、栃赤城を尊敬もしていたから、とったり、逆とったり、網打ち、ちょん掛け、すそ払いといった足技や腕を使った投げ技などを日々研究していたのである。
土俵は体育館だとバスケットボールのセンターサークルを利用していたように記憶している。いま調べてみると3.6メートルある。現在の大相撲の土俵は15尺(4メートル55センチ)だそうだから、まあ子供が相撲をとるにしては手頃なサイズだったのだろう。懐かしいものだ。
閑話休題。自分の思い出話はこのあたりにして、大山さんの本は、昭和7年に関脇天龍をリーダーとする現役力士たちが集団で相撲協会に叛旗を翻し新団体を設立した、「春秋園事件」を中心に、彼ら力士たちが主張し協会に改革を迫った問題点を検討し、事件の経緯を追いかけるなかで、現代大相撲にまで横たわる弊害を洗い出した刺激的な内容だった。
本書を読むと、昭和初期から言われ続けていたことが一向に解決されず、それが現在の相撲の衰退の一因になっているらしいことがわかる。簡単に言えば「茶屋」の問題と「親方株」の問題である。
親方株の問題については、大山さんはこれを「パンドラの箱」と表現する。あけたら最後、大混乱が生じ、あけたものに災いを及ぼす。実際境川理事長は親方株問題に手をつけようとして(具体的には売買の禁止)保守派の猛抵抗にあい、理事長を退かざるをえなかった。何億と言われる親方株を確保するため、現役時代からカネ集めに奔走しなければならないのはたしかにおかしい。
いまひとつの茶屋の問題は自分にも実体験がある。数年前一度だけ、ある先輩のお誘いで枡席で大相撲を観る機会があった。いただいたチケットには茶屋の番号が書かれてあったのだが、一人で最初に両国国技館に到着した私は、右も左もわからないまま枡席の席番号だけをたよりに席を見つけ、一人枡の中にぽつりと座って下位取組を観ていたのである。
その後茶屋を通した(最初にチケットを茶屋に見せた)先輩がやってきて、そういうものなのだと諭されたのである。茶屋の人は、勝手に入り込み枡席に座っていた私に冷たい視線を送った(ような気がする)。それからは食べ物も飲み物も至れり尽くせり。帰りに持たせるお土産も、「もうこれ以上いらない」というくらいたくさんあって、持て余してしまったほど。
椅子席ならまだ相撲の印象も違っていただろう。芝居を観るような雰囲気で飲み食いしながら観戦の愉しさを味わったいっぽうで、前近代的な枡席での相撲の見方に違和感をおぼえたのも確かであって、窮屈さを感じてしまったのである。
横綱双葉山時津風親方となって理事長になった昭和30年代、それでも相撲は大きく彼の手によって改革されたことがわかる。力士の給料を月給制にする。行事・年寄を定年制にする。新弟子検査では尺貫法からメートル法にする。部屋別総当たり制にする(それまでは同門の対戦はなかった)。協会役員を選挙で選ぶようにし、審判部を設置した。そうした大なたをふるった時津風理事長でも手をつけられなかったのが、茶屋制度改革と年寄株をめぐる問題だったという。
時津風理事長急死の跡を継いだ武蔵川理事長時代には、横綱大鵬の四十五連勝がストップした一番が、実は相手の足が先に土俵を割っていたことがわかり、勝敗判定に非難の嵐が巻き起こった。これに対し理事長は翌場所からビデオを導入し、勝敗判定に利用することにしたのだという。この対応の素早さは、保守的という相撲協会のイメージからは想像できない。相撲協会にはこんな時代もあったのである。
横綱朝青龍の強さは観ていて気持ちがいい。ああしたタイプの力士は好きだ。でも、この期に及んで愚かしいと言われようが、日本人のわたしはやっぱり思わずにはいられない。
朝青龍琴欧州白鵬露鵬安馬…いま話題をさらっている強い力士は皆外国人ばかりではないか。同じ区在住ということで栃東を応援しているのだが、怪我がちで強さにムラがあるのが残念。舞の海ような「技のデパート」の伝統も、モンゴル相撲出身の力士にお株を奪われっぱなし。そもそも体格の巨大化によりわざ師の小兵力士が活躍する余地がない。
あのころの面白かった相撲は戻ってこないのだろうか。