「ライン」から外れた傑作

「人間狩り」(1962年、日活)
監督松尾昭典/原作・脚本星川清司長門裕之渡辺美佐子大坂志郎梅野泰靖中原早苗/高山秀雄/高野由美/伊藤孝雄/小沢栄太郎北林谷栄/菅井一郎/神山繁/嵯峨善兵

1962年であれば、日活は石原裕次郎全盛期でもあり、赤木圭一郎こそ亡くなったものの、宍戸錠小林旭らトップスターを擁して「ダイヤモンドライン」と名づけられたラインナップで次々とアクション映画を繰り出していた時期でもある。
その意味で言えば「人間狩り」は「ライン」から外れた作品ということになるだろう。主演が長門裕之であり、その他渡辺美佐子大坂志郎梅野泰靖小沢栄太郎ら渋い俳優をキャスティングしている。しかし(だからこそ)これが大傑作だった。華やかなアクション映画の陰にサスペンスに満ちあふれた犯罪映画あり。以前観た「殺したのは誰だ」や「死の十字路」なども加え、日活の魅力はこんなところにありそうだ。
子供の頃強盗に母を殺され天涯孤独となり、以来犯罪者を憎みつづけて刑事を職業に選び、ただひたすら犯罪者を捕まえることだけに執念を燃やし(タイトル「人間狩り」はこれに由来する)、総監賞15回という受賞歴をもつ敏腕刑事に長門裕之。犯罪者憎しのあまり冷静さを失い暴力に及ぶこともたびたびで、上司や同僚もいい顔をしない。長門が担当した死刑囚の情婦だった渡辺美佐子と恋仲にあったが、渡辺もとうとう長門を見捨てる羽目に。
長門の天敵である悪役小沢栄太郎が警察署に連行されるが、なかなか尻尾をつかませない(そのふてぶてしさはさすが小沢栄太郎)。しかし15年前の強盗殺人事件の共犯者について口を滑らせてしまう。実はまだ時効になっていなかったのだ。時効まであと36時間。わずかな手がかりだけで捜査を開始する長門
ここからのサスペンスは無類のものだ。しかも東京のなかで住居を転々と変える共犯者の足どりを追って歩き回る場所の選び方がこれまた渋い。青砥、赤羽、町屋なのである。京成の青砥駅とその周辺、国鉄赤羽駅とその周辺、京成の町屋駅とその周辺の60年代が記録された貴重な映画。
とりわけ町屋の高架駅と高架下の商店街、高架から伸びドブに沿って立ち並ぶうら寂れた長屋のたたずまい。陋巷という言葉がぴったりの町並みで、よくぞこんな町を選んで舞台にしたと拍手を送りたい。川本三郎さんにぜひこの映画を論じてほしいと思ったほど。ちなみに川本さんの『銀幕の東京』*1中公新書)にも、冨田均さんの『東京映画名所図鑑』*2平凡社)にもこの映画は登場しない。ついでに、長門が勤務する新宿警察署の建物も見もの。現在の新宿署は西新宿六丁目にあるのだが、映画と同じなのかどうか、わからない。
さて、共犯者というのが大坂志郎町屋駅近くの長屋で靴の修理をして暮らしている。犯罪を犯したあと、再婚して妻の連れ子(伊藤孝雄・中原早苗)とともにひっそりと、しかし幸せそうに日々を送っている。伊藤は優秀な技術者で、上司の娘との結婚も近い。娘の中原は荒川区役所に勤めているのだが、それだけでは足りずに夜水商売のアルバイトをしている。見つかったらどうするのだと母から問いつめられると、区役所を辞めるとうそぶく。
大坂は病気がちの妻思いで、近所でも評判の善人。そこに15年前の犯罪を暴くべく長門らの足音が迫ってくる。大坂も殺人を犯したことを忘れておらず、長門らの行動に敏感に立ち回る。
もうひと息というところに、同僚の梅野が渡辺美佐子を連れてきて、女を捨てるなと説得する。女との人間的な生活と犯罪者憎しという骨がらみの情動との間で揺れ動く長門。「せっかくここまで追いつめたのに何をしてるんだよ」とイライラしてしまうのだが、そんな不満はラストのシークエンスで吹き飛んでしまう。
時効まであと数分、逃げる大坂と追う長門、追いかけさせまいと長門にしがみつく娘の中原の三人により町屋駅の高架プラットホームで展開される息づまるドラマ。まったく素晴らしい。
犯罪被害者であり、それを捜査する側になった長門が、時効寸前の殺人犯だがいまでは善良で妻と子供たちと幸せな生活を送っている大坂の暮らしを破壊し、彼の家族を傷つけるのか。被害者の気持ち、犯罪者の気持ち、犯罪者の家族の気持ちが交錯する、そんな現代的テーマにも通じており、とても見ごたえがある映画だった。