戦後30年と60年の時差

「あゝ声なき友」(1972年、松竹・渥美プロ)
監督今井正/原作有馬頼義/脚本鈴木尚之/音楽小室等渥美清小川真由美森次浩司北村和夫加藤嘉倍賞千恵子新克利松村達雄吉田日出子長門裕之/志垣太郎/大滝秀治市原悦子長山藍子江原真二郎香山美子/金井大/春川ますみ織本順吉/田武謙三/北林谷栄/悠木千帆/田中邦衛財津一郎

この作品はすでに「男はつらいよ」が一定の人気を得たあとに作られている。小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)には、寅さんと違うイメージの作品で自分の可能性を試したいという意気込みで、渥美が自らプロダクションを作って製作に乗り出したとある。
この映画の存在を知る以前から、有馬頼義の原作(『遺書配達人』光文社文庫)が気になり、持っていた(ただしいまどこにあるか、見つけられないでいる)。戦地で重病に罹り内地に送還された主人公は、帰国前に所属部隊の戦友たちから遺書を預かる。その後部隊は南方で全滅したことを知る。
敗戦後運び屋などで生計を立てながら、戦友から託された遺書を一通一通遺族のもとに届けるのを自らの仕事と課した主人公は、鹿児島から北海道まで、届け先でさまざまな「戦後」のあり方に直面する。そんな連作の筋立てに惹かれ、買い置いたのである。その後この小説が渥美清主演で撮られたことを知ったという順序だった。
出演者を見てもわかるように、ずらりと豪華メンバーが並ぶ。それぞれのエピソードが彼らの重厚な演技により引き立って甲乙つけがたく、どれが印象的だと選ぶことができないのである。いずれもが、戦中から敗戦直後の混乱期にあり得た苛酷な社会の一断面ばかりで、胸に迫るものばかりなのだ。
渥美清は抑えた演技で、部隊の中で自分一人が生き残ったという事実を重く受け止め、遺書を遺族に届けることを何よりも優先し、個人生活を犠牲にして戦後昭和20年代を粛々と暮らしてゆく。遺族に遺書を届けるのは善意にほかならないが、戦中の人間関係を清算し戦後まったく新たな「第二の人生」を立ち上げつつある人びとにとってみれば、渥美清はある意味その第二の人生を破壊する「加害者」になってしまう。
小林信彦さんは前掲書のなかでこの作品について、「1972年(昭和47年)に、この着想は少々きつい」「「あゝ声なき友」という題名は、当時としても大アナクロニズム」「実にまじめで、悪い映画ではない。しかし、映画も、渥美清も、魅力がない」「1955年(昭和30年)ごろに終る〈戦後〉の話を、1972年4月に封切るのは、ずれた感じをあたえる」とかなり辛辣な言葉で批判する。
もちろんいまはさらにそこから30年以上経って、戦後云々というのはいっそう議論にならない。しかし逆に、「アナクロニズム」「ずれ」という感覚から超越して作品自体を評することのできる時期になっているという言い方も可能なのではあるまいか。その観点で虚心に見れば、たしかに渥美清は見せ場がなく能力を発揮したとは言えないかもしれないが、映画としては戦争の意味を考えるうえで(言い方は好きではないが、「反戦映画」として)とても面白いものだった。DVDに保存する価値のある映画である。
全編に流れるギターの音色がもの悲しい雰囲気をただよわせ、映像を引き立たせる。小室等さんによる音楽だそうだ。
結局渥美清が遺書を手渡すことのできなかった一人に倍賞千恵子がいる。彼の弟が渥美に遺書を託したのだが、弟は出征するとき姉に言われた親類宛に遺書を認めていたため、渥美は倍賞の存在を知ることなく、倍賞も弟の戦死を知ることなく、そのままになってしまう。倍賞は弟との約束で毎月一日の同じ時間に博多駅頭に立つのだが、それが無駄であることを観客は知っているから辛い。倍賞が立つ昔の博多駅の駅舎がレトロでいい。
時おりしも朝鮮戦争まっただ中。倍賞は博多の(?)米軍基地で、戦死した米兵の遺体の傷を化粧して隠すという仕事をしている。そんなところにも厳しい戦争の現実を突きつけられる。

あゝ声なき友 [VHS]

あゝ声なき友 [VHS]