「ものずき」作家の「ものごころ」

もののはずみ

堀江敏幸さんの新刊エッセイ集『もののはずみ』*1角川書店)を最寄駅近くの新刊書店で発見した。書籍部で買えば一割引になるけれど、その日は並んでいなかった。定価の一割に相当する百数十円というお金は、早くこの本を手にして読むことができるという精神的愉悦のための投資だと自分を納得させ、買い求めて家路を急いだ。
他の著書と異なることなく、シンプルで瀟洒な白いカバーに包まれた素敵な装いの本である。そしてこれもいつものことで、汗で白いカバーが汚れるのを避けるため、カバーを外してから読み始める。
カバーを外すと、小ぶりながら角背で堅牢な本の感触を味わうことができる。表紙と見返し紙、扉のデザインが茶系の色で統一されたセンスは著者の好みが強く反映されているのに違いない。中をめくると、今回は精興社ではないものの、版面に余白がたっぷりとられ、各篇ごとに著者自ら撮影した写真が収められ、興趣を添えている。
堀江さんの作品を読んでいると、自ずと著者が「ものずき」であることがわかってくる。さまざまなモノ、がらくた、古道具に対する愛着が行間からにじみ出、それが堀江作品の印象を深いものにさせているから、モノにまつわるエッセイの寄稿を求められ、こうしてそれらが一書にまとめられるのも、ごく自然な成り行きと受け止めることができる。
でも、本書を読みながら、なんだかもったいないという気持ちになってしまった。モノにまつわるトリビアルな蘊蓄は、それ単独でエッセイとして小出しにしてしまわず、小説の味わいを深める薬味として使ってほしかったと思ったのである。
たとえば、ソレックスという会社が製作販売している原付自転車について。

ソレックス社は、一九〇五年に設立されたラジエーターとキャブレター製造会社が母体になっていて、マルセル・メネソンが原付き自転車のプロトタイプを造りあげるのは、ようやく一九四〇年になってからのこと。以後改良を重ねて一九四六年に最初のシリーズが発売されて人気を博すのだが、……(「原付き自転車の謎」)

いかにも堀江さんらしいモノへの着目であり、モノの来歴に対するこだわりである。
読みながら快哉を叫んだのは、「ボールボウルボル」の一篇だった。「原書でフランスの小説に触れるようになってよくわからなかったことのひとつに、珈琲やカフェ・オ・レを飲む場面で登場する「ボル」という単語がある」という一文から始まるこのエッセイで、「ボル」とは何ぞやという話、ボルの使い方、ボル収集記が書きとめられていたからだ。
堀江さんの文章を借りると、わたしは「堀江敏幸の小説に触れるようになってよくわからなかったことのひとつに、(…)「ボル」という単語がある」のだった。でもわからないなりに、フランス的な響きを感じとり、堀江作品を引き立てていることに注目していた(→2004/2/14条)。だからこの一文はまるでわたしのために書いてくれたのかと思いこんでしまうほど、当を得た内容だった。堀江作品の自註自解ともいうべきエッセイ。
本書に添えられている写真を見ると、ボルとはご飯を盛るお椀や丼の従兄弟*2のような形のうつわらしい。取っ手がないから、これで熱い珈琲を飲むのはさぞかし不便なのではないか。堀江さんはボルを使っての飲み方を解説する。

女性や子どもは両手、というより両手の指をすべて運用して口のまわりと底を支えるし、冷めてくるとてのひらで包むように持つ。
これにたいして、手の大きな男たちは、オーヴンのトレーを引き出すあの三点支持のやっとこよろしく、人差し指を内側にひっかけ、親指と中指で外側から支えるという、まことに不安定な方法で持ちあげて口まで運んでゆく。その危うさが、中身の味をいっそう引き立てているのだ。
かくして、「朝の珈琲は胃がたぷたぷするくらい飲まなければ気がすまない」堀江さんにとって、ボルは必需品の位置に落ちついたのだった。
それぞれに触れられているモノを買い求めるさいの売り子の人とのやりとりが、ほのぼのとしたユーモアに満ち、古道具屋、蚤の市などに対する関心を掻きたてられる。わたしは「ものごころ」の薄い実用一辺倒のつまらない人間だが、本書を読んでいるうち、熾き火のように心のなかにくすぶっていた「ものごころ」が覚醒されたような気がする。剣呑な本である。

*1:ISBN:4048839241

*2:「ボル」とはフランス語でbol、男性名詞だと書かれている。