大好きな女優二人の大乱闘

「猫と庄造と二人のをんな」(1956年、東京映画)
監督豊田四郎/原作谷崎潤一郎/脚色八住利雄森繁久彌香川京子山田五十鈴浪花千栄子

疲労困憊だったので、気晴らしに仕事帰り映画を観ようとフィルムセンターに急いだ。なんて、前々から上映スケジュールがわかっていたわけだから、突然思い立ったわけではないのだが。でも疲労困憊は事実である。
フィルムセンターに行くときは丸ノ内線から東京駅の地下通路、八重洲地下街経由で外に出るので、当然八重洲古書館に立ち寄ることになる。でも今回収穫はなかった。
高峰秀子特集が終わっても(いつの話だ?)、相変らず行列している。今夏予定される成瀬巳喜男特集のときが思いやられる。さて「猫と庄造と二人のをんな」は、一昨年池袋新文芸坐で開催された森繁久彌映画祭のとき見逃したのだった。原作(新潮文庫*1)はその直後に読んでいる(→2003/6/10条)。
映画では、雌猫を偏愛する生活無能力者のダメ男庄造に森繁、その母に浪花千栄子、浪花にいびり出される前妻に山田五十鈴お転婆で若い後妻に香川京子という布陣。この間かなりの数の旧作日本映画を観るなかで、山田五十鈴の色気に惚れ、香川京子の清純に惚れた私としては、理想的な配役の映画だった。
猫のリリーをだしにしてもとの鞘におさまろうとする山田五十鈴は恐ろしい。口元を醜く歪めながら、ギリギリと後妻香川への嫉妬心をたぎらせる。対する香川。ほとんど全編をとおして水着姿、下着姿なのだ。肌を露出させ森繁に媚態の限りをつくし、また悪態を吐く。香川京子ファンにはたまらない映画である(当時25歳)。この映画でもとても可愛い。
森繁は香川の足がいいと、素足に顔を押しつけすり寄せる。原作にこんなシーンがあったかどうか忘れてしまったが、ないのならば、谷崎へのオマージュなのだろう。
家を抵当に入れている借金先(庄造の叔父)の不良娘が香川で、借金に目をつぶったうえに持参金付きで従兄の森繁に押しつけたというかっこう。裏では香川の親と浪花が策謀している。そのため、子どもがないという理由で山田五十鈴が追い出されたのである。
最後は土砂降りの雨の中前妻と後妻が取っ組み合いの大喧嘩をする。山田五十鈴香川京子が、である。森繁はそれを見て「かなわん」と逃げ出す。雨の中肌着にステテコ一枚でリリーを懐に抱き、「今日から住むところはない」と浜辺をさまよう森繁の哀しい、でも何となく幸せそうな背中がいい。
この映画を観て印象づけられるのは、蚊帳である。川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズにはこの項目はなかったけれど、もし設けるとすればこの映画がその代表作となるのではあるまいか。それほど蚊帳が多く登場する。
そして蚊帳は、たんに夏の暑さを表現する記号としてだけでなく、人間と人間、人間と猫との繊細な関係を表現する絶妙なアイテムとして使われているように思う。蚊帳を間に入れることで、ちょっと裾をめくって手を入れてみたり、少しだけ開けてその隙間からすばやく外に出てみたり、蚊帳を開け閉めする仕草が男にせよ女にせよ、何とも色っぽいのだ。
蚊帳があるから、ストレートに人間同士がぶつかり合わず、猫にもすぐ手が伸びない。蚊帳をめくる動作がひとつ間に入ることで、映画にふくらみが増している。
わたしが子どもの頃(昭和40年代後半)には、まだ蚊帳を使っていた。樟脳の匂いや蚊取り線香の匂いが複雑に染みこんだ緑色の蚊帳のなかで眠った夏を懐かしく思い出す。わたしの年代あたりが蚊帳を知る最後の世代になるだろうか。
帰宅後すぐ、川本さんの『君美しく―戦後日本女優讃』*2(文春文庫)を取り出し、香川さんの章を開いてみる。この映画にも言及されていた。それまで、実際の本人に近い、おとなしいお嬢さんのような役柄ばかりを演じてきたところに、このアプレ娘役。
香川さんは、「わたしはあの役はあんまりやりたくなかった」「自信がなかった」と正直に告白する。川本さんから、でもけっこう似合っていたと言われると、「ちょっと恥しくて、いま見てられませんけどね(笑)」(407頁)と答えている。たしかにあの映画での香川さんは、かなり思い切った身なりをし、演技をしている。
だからこそ貴重な映画でもある。山田五十鈴の怖さとユーモアが裏表になったような演技、森繁のダメ男の演技とあわせ、今後もしCSなどで流れるようなことがあれば、即保存したい作品だ。135分という長さが、ちょっと気になるけれど。