石田波郷ふたたび

命あまさず

俳句の世界から少し遠ざかってしまっているが、決して絶縁を決め込んだわけではない。とくに石田波郷を介しての興味は細々ながらつづいている。
旧読前読後を検索してみると、石田波郷に夢中になっていたのは、いまから4年前の2001年だったことがわかる。講談社文芸文庫に入った『清瀬村(抄)/江東歳時記』*1を読んだり、波郷が一時住んでいた砂町にある石田波郷記念館(江東区砂町文化センター)を訪れたのは、ちょうど4年前の5月である。懐かしい。
いまあげた『江東歳時記』は、東京東部地域(江東区・足立区・墨田区葛飾区・江戸川区)を歩いてまとめた俳句写真文集で、本書については約1年半前にも再読の記を書いている(→2003/11/22条)。
その後も写真も収められた東京美術選書版(元版の新装版)のほうをときおり眺め、昭和40年前後の江東、葛飾、足立区域の写真に見入ったり、波郷の句を味読することがあった。
そんな感じで石田波郷への興味は尽きていなかったから、辻井喬さんの文庫新刊『命あまさず―小説石田波郷*2(ハルキ文庫)が目にとまり、読んでみることにしたのである。辻井さんの作品を読むのは本書が初めて。
本書は石田波郷をモデルにした伝記小説で、連作短篇のかたちをとっている。作中波郷は山田秋幸という仮名になっているが、師の水原秋桜子はじめ、主だった人びとは実名で登場している。
読んでいて面白かったのは、俳人の伝記小説でありながら、作中一句も俳句そのものが登場しないということだった。これはきっと意図したことなのだろうと思っていたら、はたして「あとがき」に、「作品のなかに俳句を使わないようにすること」に留意したとある。これは「小説というジャンルの独立性を明確にしておきたかった」からだとし、しかしその苦労も下のように記されている。

俳句の領域を侵さず、俳句に従属もせず俳人の生涯に題材を取った小説を書くことは思ったよりむずかしい作業であった。
この点については、解説の辺見じゅんさんも注目している。そのうえで辺見さんは、俳句こそ引用されていないものの、波郷の句が文中「隠し絵」のように埋め込まれていることをいくつかの実例をあげ解説している。
波郷には興味があるものの、その俳句をすっかり忘れていたわたしにとっては、この「隠し絵」を見つけることすらできずに読み終えてしまった。波郷を本当に読み込んでいる人でなければ、「隠し絵」を見つける愉しみもままならないと臍をかんだ。
とはいえ本書を読んで、また波郷という俳人への関心が高まってきたことも事実だ。やはり辺見さんによれば、波郷は生涯の大半を俳壇と病院で過した「俳句一筋の生涯」であり、俳人俳人としてのみの人生を生き抜」いた稀有な存在だと言う。
たしかに師水原秋桜子は医者であったし、永田耕衣三菱製紙のサラリーマンだった(城山三郎『部長の大晩年』朝日文庫、旧読前読後2001/9/26条参照)。同人誌を核として党派的になりがちな俳人らにあって、できるだけ党派を避けて句作に専念しようとしたあたり、ますます好意を抱かずにはおれない。
波郷が結核のため清瀬の国立東京療養所に入院しているとき、隣室に入院していたのは結城昌治さんだった。たとえば結城さんの『死もまた愉し』*3講談社文庫)に触れられている*4
そのほかもう一冊、波郷の句も多く引かれ、療養所での波郷との交友を綴った『俳句つれづれ草―昭和私史ノート』*5朝日文庫)もある。同書を書棚から取り出し、その「療養所」と題された一章を読みながら、「療養句の金字塔」(江國滋)と言われる波郷の句を味わったのは、言うまでもない。
七 夕 竹 惜 命 の 文 字 隠 れ な し

*1:ISBN:4061982338

*2:ISBN:475843171X

*3:ISBN:4062732319

*4:ちなみに同時期福永武彦も入院中だった。

*5:ISBN:4022605340