転がり方の問題

阿佐田哲也麻雀小説自選集

麻雀放浪記」(1984年、角川春樹事務所・東映
監督和田誠/原作阿佐田哲也真田広之大竹しのぶ鹿賀丈史加藤健一/高品格加賀まりこ名古屋章天本英世吉田良全/内藤陳/鹿内孝/逗子とんぼ笹野高史

高峰秀子特集」の混雑ぶりにすっかり圧倒されてしまったのだが、やはりあの動員力は高峰秀子という大女優のオーラによる一過性のものだった。ちょっぴり安堵。高峰特集で身についてしまった開場時間(18:30)入りをしたら、がらがらで拍子抜け。いや、これが本来のフィルムセンターなのだ。
麻雀放浪記」が封切られた時、私は高校生だったことになる。「ことになる」という距離感のある言葉を使ったのは、その頃の様子がぼんやりとしか記憶にないからだ。ただ評判(いいほうの)は耳に入ってきた。たぶんその後テレビでも放映されたに違いなく、むろん近くのTSUTAYAにも置いてある。でも未見だった。家の中では映画以外の「雑音」があって集中して見ることができない。スクリーンで見て大正解。面白かった。
全編モノクロで戦後焼け跡の雰囲気たっぷり。あれはほとんどセットなのだろうが、焼け跡といい、場末の住宅地といい、たたずまいも、そこに流れている敗戦直後という空気も迫真。真田広之加賀まりこが中央部が跳ね上がった勝鬨橋をバックに歩くシーンがあって、ここだけ明らかに重ねていることがわかり興醒め。でも勝鬨橋の跳ね上がる画像自体は貴重なのだろう。
やはりこの映画では「出目徳」高品格の渋さを第一にあげなければならない。筒子の九蓮宝燈をツモってアガったとたん急死してしまったあのシーンは、「麻雀放浪記」を見たことのなかった私ですら知っている。その後遺体はドサ健らに身ぐるみはがれて下着姿になり、土手の上から土手下にある家に向かって転がり落される。ごろごろと転がり最後に家の前の水たまりにうつ伏せにバシャッと浸かる間合いの絶妙なこと。これも演技というのなら、高品格の演技に拍手。とともにこのシーンに無常を感じる。
その他加藤健一の女衒の達がいい。インテリ風であたりが良さそうでいながら実は切れ者。色気もある。またおかまの内藤陳も怪演。博打打ちの間をめぐりめぐる女(大竹しのぶ)と土地の権利書がある意味主人公なのかもしれない。
帰宅後、思わず書棚から『阿佐田哲也麻雀小説自選集』*1(文春文庫)を取り出してしまう。ここには映画の直接の原作『麻雀放浪記(青春編)』が収録されている。年末年始に読む本の候補入り。うーん、でもめくっていたら我慢できずその前に読んでしまいそう。
なお、今回この映画の関係者で亡くなられたのは、特撮の成田亨、出演者の名古屋章天本英世吉田良全の4名。