岡田茉莉子カワイー

「バナナ」(1960年、松竹大船)
監督渋谷実/原作獅子文六津川雅彦岡田茉莉子尾上松緑杉村春子宮口精二小沢栄太郎伊藤雄之助小池朝雄仲谷昇神山繁

獅子文六作品の映画化だが、原作は未読。裕福な華僑一家が中心。名目的な地位に就くだけでほとんど仕事をしないで暮らしている呉天童に(二代目)尾上松緑シャンソン鑑賞に夢中になる妻に杉村春子。その一人息子が若々しい津川雅彦。料理を道楽とした金持ちの鷹揚たる雰囲気が尾上松緑のニンにピタリとはまる。何たる貫禄のよさ。津川が神戸で羽振りよく商売を行なっている叔父(小沢栄太郎)からバナナ輸入の権利を譲られ、ガールフレンドの岡田茉莉子と金儲けをたくらむ。その理由は外車が欲しいというもの。
そこに青果仲買人の岡田の父宮口精二が絡む。江戸っ子頑固親爺の宮口精二がまた切れ味鋭く素晴らしい。宮口の出演シーンは場内から笑いが。杉村をパトロンにしようと誘うキザなシャンソン歌手役に仲谷昇、津川を悪の道に引きこむ華僑マフィア(?)の手先に小池朝雄。小池の学生服姿にインチキ臭さがただよう。
岡田はシャンソン歌手を目指すべく「紫シマ子」の芸名でリサイタルを開こうとする。伊藤雄之助はそのマネージャー兼シャンソン喫茶の支配人。お侠で活発な岡田茉莉子が素敵に可愛くて、すっかり惚れてしまった。リサイタルで岡田が唄うのが「青ぶくの歌」という。「青ぶく」とは、バナナ業界用語で、「皮は青いくせに、身が熟し過ぎて、ブクブク腐っている」バナナのこと。原作では、外面は純情的・処女的でも、一皮むけばその身は朽ちているという女性侮蔑の喩えにも使われている。
岡田が映画の中でギター片手に唄う「青ぶくの歌」とはこんな歌詞。こんな唄をツンととり澄まして唄う岡田がまた可愛い。

その皮は青けれど
身は朽ちて、けがれたり
その眼ざしは清けれど
心はさすらいの娼婦に似たり
ああ青ぶくのバナナ
バナナは黄なるこそよけれ
こんな歌詞をこともなげに作る獅子文六のユーモアセンスに脱帽である。また、尾上松緑の口から戦後日本(人)批判の言葉が幾度か吐かれた。華僑の口を借りるという趣向も巧み。映画ではバナナ業界、華僑社会の描写はさほどしつこくなかったのだけれども、獅子文六のことだから原作ではこのあたりもきちんと描き込まれているに違いない。原作の面白さが容易に推し量られ、原作を先に読んでおくのだったと悔やんでももう遅い。