勧誘のことわりかた

茶話(中)

どういうわけか職場にしばしば資産運用・節税対策・年金対策などの勧誘電話がかかってくる。口下手であしらい方も苦手なので、その都度対応に窮してしまう。「そもそも運用すべき資産はない」「将来のことなどまだ考えていない」と答えようものなら、「ないからこそやるべきだ」「将来のことを考えないでどうする」とたしなめられる。「仕事中ですから」と切ろうとすると「では仕事が終わってからかけ直します」と言われてまた窮する。無理に電話を切ると何となく後味が悪くて、その日一日を不快に過ごす。
ある日もそうした電話がかかってきた。昼休みまでまもないという時間帯だったこともあり、ひとつ本腰を据えて応対してやろうと電話を手もとに引き寄せた。勧誘員の若い男を相手に、時にはフィクションを織りまぜながら(DINKS夫婦をよそおった)いかにお金がなくて日々の暮らしが大変かを諄々と説いた。敵は一つの部屋のなかで複数の人間が電話をかけまくっているらしく、当初は受話器を通して背後の話し声が聴こえてきたが、12時を過ぎたあたりでパタリと静かになり、相手と私の対話だけが延々と続くかたちになった。
すでに話し相手の同僚はお昼を食べに外出してしまったようだ。いくら説得しても手応えのない返答を繰り返す私を前に、早く切り上げたいような雰囲気が受話器から伝わってくる。彼のお昼休みをつぶしては申し訳ないので、おもむろにきっぱりとことわりの台詞を切り出した。渡りに船と彼もあっさり諦め、受話器を切った。口で打ち負かしたわけではないけれど、とりあえず、初めて味わう勝利の瞬間!
ところで伊良子清白は保険会社の診察医として勤務経験があった。生命保険に入るさい入会者が健康かどうかを審査する役割である。この診察医は同時に勧誘員も兼ねていたようで、清白は周囲の人間に保険勧誘を行なっていたらしい。『孔雀船』の装画を担当した画家長原止水を勧誘しようとして「エセ詩人」と痛罵されたことは、すでに高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』に触れて紹介した(→7/17条)。この挿話は高橋さん一流のフィクションだとばかり思っていたら、そうでもないようなので驚いた。
昨日触れた平出隆『伊良子清白』のなかでもこの挿話が紹介されている。清白は止水を勧誘し「それでも貴方は詩人か」と激怒されたという(『月光抄』184頁)。しかしながらこの挿話は伝聞らしく、日記に記載がないため平出さんは判断を慎重に留保している。
ただ止水を勧誘したことは事実だった。『孔雀船』を上梓するいっぽうで東京を離れ浜田に赴いた、清白にとって画期となる明治39年の3月1日の日記にその記載がある。「明星」を媒介に知り合った与謝野晶子の紹介状を得て、各界著名人に積極的な勧誘を開始したのである。この日は千駄木林町に長原止水千駄木町に夏目漱石、西片町に上田敏を歴訪し、すべてことわられた。日記には、

長原氏は沈痛夏目氏は洒落上田氏は快活
とのみ記録されているという(『月光抄』176頁)。「沈痛」の中味が激怒面罵で、日記にはショックで詳しく書けなかったと考えることも可能である。それはともかく勧誘のことわりかたとして、漱石が「洒落」、上田敏が「快活」というのはとても興味深い。
明治詩壇における清白のライバル薄田泣菫の『茶話』のなかに、上田敏のこんな挿話が紹介されている(「保険屋」、谷沢永一浦西和彦編『完本茶話(中)』*1冨山房百科文庫)。
今の世に廃兵と生命保険の勧誘員ほど蒼蠅い者はたんと有るまい。ある時その生命保険の勧誘員が、亡くなつた上田敏博士を訪ねた事があつた。
夏の事だつた。勧誘員は扇をぱちぱち鳴らしながら、学者の頭は硝子製のインキ壺と一緒に、どうかすると毀れ易い。それを禦ぐには何よりも生命保険に入つて置くに限る、何故といつて生命保険は毀れたインキ壺の代りに、お銭を出して呉れる。お銭では新しいインキ壺を買ふ事も出来れば、麺麭菓子を買ふ事も出来るといつた風な事を喋舌つた。
博士はその間煙草をふかしふかし黙つて相手の顔を見つめてゐたが、一頻りお喋舌が済むと、静かな調子で、
「それぢや生命保険といふものは、恰で女郎のやうなもんですね。」
と奇妙な事を訊いた。
「え、女郎のやうだと仰有るんですか。」勧誘員はすつかり度胆を抜かれた容子で目を白黒させた。「何故でございますね。」
「でも君、肉体で稼ぐんじやないか。」博士は冷やかに笑つた。「僕はそんな真似は厭だね。」
「へへへ……肉体で稼ぐには恐れ入りましたね。」
といつて勧誘員は戯けたやうに、一寸お辞儀をしたが、迚も駄目だとあきらめて、素直に起つて帰つた。
このときの上田敏の応対はかならずしも「快活」とは言えないかもしれないけれど、清白の勧誘をことわったときの上田敏の「快活」の様子が、この『茶話』中の一挿話から彷彿とするようである。こんな機転の利いたことわりかたができる人間になりたい。