戦後創作意欲が衰えた荷風をただ厳しく批判するのではなく、なぜそうなったのか理由を探るというテーマでのお話。
荷風は場所・町・風景を自らの小説の支えとしている(漱石のように人間関係を支えとしていない)ことから、『墨東綺譚』において玉の井という理想的な町を舞台にしたため、それを超えうる小説の舞台をついに見いだしえなかった点、また『荷風好日』で指摘された空襲後遺症の問題などを大きな理由としてあげられた。
また終焉の地市川は戦災に遭わなかったため、荷風にとっては「隠棲の地」として理想的だったこと、市川には荷風が尊敬する太田蜀山人の古碑があり、先人の歩みをたどる嗜好のある荷風を喜ばせたことなどを指摘し、市川と荷風は相性がいいと締めくくられた。
会場は大入り満員。立見も大勢。私も立見で聴かざるを得なかった。展覧会といい、“市川の荷風”を愛する地元の人びとの熱意が感じられた。
講演後の質問コーナーでは、「川本さんは今日市川にどのようなルートで来られたのか。帰りは立石に立ち寄るのか」といった川本マニアが喜ぶような質問が飛ぶ。川本さんはこれに対し、普通に都営新宿線に乗ってきたこと、立石の「うちだ」には今日は行かないことを答える。その他の質問を聴くと、荷風マニア・川本マニアが多いことを知る。なぜ荷風ファンはこうもマニアックなのか。