第55 仙台の本屋のにおい

讀書日記

今回の出張は単身だった。同僚数人と行く場合、夜はたいてい飲むことになる。一人だと話し相手がいなくて淋しい反面、ひと仕事終えた夕方から夜にかけては自由に行動できるのがいい。とりわけ今回は勝手知ったる仙台の町であり、中心部にあるホテルに投宿しているから、そこを起点にいろいろ行きたい場所があった。
この機会に久しぶりに訪れたかったのは、東北大学片平キャンパス北門前にある古本屋街。古本屋街といっても、私が学生の頃でも四、五軒しか残っていなかった小さなものだ。
サンモール一番町という町中心部の南北を貫くアーケード商店街を外れた南側に位置するが、そこに行くまで、つまりサンモール一番町の最南部には丸善・金港堂という二つの大きな書店がある。新刊書もチェックしておきたい。
そう思って丸善を目指したら、驚いたことに店のシャッターが下ろされていた。数年前駅前にできた高層複合ビル内に丸善の大きな店が入ったから、仙台店はそこに移転したということなのだろう。ここでいろいろな本を買ったことを思い出して寂しくなった。いま記憶にあるのは澁澤龍彦『人形愛序説』第三文明社)。函入りの豪華な造本だった。あの頃はまだ新刊書店で手に入った。
丸善の少し南には金港堂がある。それほど広くない店だが、これまた何度も訪れた店で、こちらは「まだ」開業しており安堵した。店に入ると書店独特の本の匂いが漂う。「そう、この匂いだ」。
必ずしも新刊書店すべてが同じ匂いというわけではない。店には店それぞれの匂いがあって、金港堂の匂いはたしかにかつて私が嗅ぎとっていたそれだった。懐かしさがこみあげる。
アーケードを抜けると古本屋街がある。一軒を除きまだ残っていたのは嬉しい。バイクを駆って何度かよったかわからないこれらの店を再訪する。それぞれの店の雰囲気はほとんど変わっていない。
このうちの一軒で、森銑三『讀書日記』(出版科学情報研究所)を見つけた。この本は、かつて職場の書庫で偶然見つけ、自分の手元に置きたいなあと強く思った本だった。職場の本を借り出しても意味がないので(借りた本は読めない性分ゆえ)、書庫でこの本のあるフロアに入ったとき、たまにめくって想いを馳せていたのだった。著作集にも未収録。ネットを検索しても見つからず、しかもあまり聞かない版元だったため、入手困難となかば諦めていた本だったのである。
昭和8-9年、同10年、同12-13年の読書日記が四六判二段組400頁にびっしりと収められている。買えない値段ではなかったので、一期一会だとばかり思い切って購入した。他人の読書日記を読む愉悦。しかもその相手が碩学森銑三である。
森銑三は私の職場の大先輩であり、何気なくめくっていると、昭和13年11月22日の条に、12年間勤めた職場に辞表を提出したという記載を発見した。本書収録の日記の期間はまるまる勤務時期のものであるわけだ。
しかし遡ってページをめくってみても職場のことはほとんど登場しない。読書日記だから公務のことは登場しなくても不思議ではない。でも『思い出すことども』*1(中公文庫)で吐露される職場への恨み言を知っている者にとっては、そこに生まの感情の一つでも書きつけてあると面白いのにと不謹慎な期待を抱いてしまうのだった。
…と、こんなことを、古本屋の道路を挟んで向かいにある中華定食屋で考えていた。大学一、二年生の頃、近くに下宿していた友人の部屋に遊びに来て、夜を徹してテレビゲームなどで遊び呆け、翌日の昼間、疲れて気だるい身体を引きずりながらここまで歩き、よく定食を食べたものだった。
今回夕食で注文したのは豚肉と野菜のうま煮丼と半ラーメンセットで500円。昔もこんなに安かったかしらん。安かったから食べに来たんだよな。ある意味、痩せ型だった私が今のような体型に無惨にも変じてしまった原因の一端はこの店にあるのかもしれない。