十回前の2月29日に

虚無への供物

先日、帰宅すると、薔薇の花束と『虚無への供物』初版本を抱えてソファに座り微笑む中井英夫のスナップ写真(92年2月29日の日付あり)を食卓の上に見つけ、一瞬不思議な気持ちに包まれた。
裏返してみると、本日より始まった「永遠の薔薇―中井英夫に捧げるオマージュ展」の案内葉書で、人形作家・ピクトリアリスト石塚公昭さんが送ってくださったのに違いない。葉書を見ると、このオマージュ展は「『虚無への供物』刊行40年記念企画」と掲げられており、中井が塔晶夫の名前で書いたかの『虚無への供物』は1964年2月29日に刊行されたということを知る。
2月29日という、四年に一度しかめぐってこない日をこの本の奥付に選んだ中井英夫の深慮に感じ入るとともに、今年奇しくも(といっても、40年目なのだから当然だが)その29日がある年にあたっており、その日が目前に近づいていることを、展覧会初日であることとともに強烈に印象づけられたのである。
さいわい29日(今日のこと)は、東北のある町に日帰りで出張する予定があって、読書に充てるべき移動時間はたっぷりある。この日を目指し数日前より創元ライブラリ版全集(第1巻)のテキスト*1を読み始め、めでたく40年前に刊行されたと同じ日に読み終えることができた。
十数年前に読んで以来、ここ数年再読の機会をうかがい、一度は手をつけたことすらあったのに、数十頁読んで中断したままだった。今回の案内葉書と、そこにある40年、2月29日という数字が『虚無への供物』と私の距離をぐんと縮めたわけである。
再読したところ、移動の間寝る間も惜しんで読みつづけるほど興奮の書だった。例のごとく犯人もトリックも忘れていたけれども、かすかな記憶を呼び覚まされつつ再読する時間は至福のものだった。
重要なモチーフは、この作品が舞台となった1954年から55年にかけての日本というきわめて限定された時期のうえに成り立ったもので、その意味で歴史的なミステリである。この時期の社会にたれ込めていた暗鬱な雰囲気を共有しないとわからないかといえばそうでもない。逆にこのなかで展開する社会批評の矛先は、現代の社会状況においてもなお有効であると思われるのである。
…と陳腐な感想はやめておこう。
ミステリゆえ内容に深く立ち入ることはしないが、本作品に強く影響を受け、東京に来てからこつこつと五色不動詣でを達成した身にとっては、目黒・目白・目青・目赤・目黄の五色不動のトポスの象徴性は、東京に住んだことでなお強烈な地理的感覚を植え付けられる。五色不動と聞くと条件反射のように頭の中に繰り返し立ち現れていたイメージは、本作品のなかに登場する目赤不動訪問のシーンであったことを確認もできた。
さらにこんな一節はどうだろう。

国電目白駅を出て、駅前の大通りを千歳橋の方角に向うと、右側には学習院の塀堤が長く続いているばかりだが、左は川村女学院から目白署と並び、その裏手一帯は、遠く池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっている。この斜面だけは運よく戦災にも会わなかったので、戦前の古い住宅がひしめくように建てこみ、その間を狭い路地が前後気ままに入り組んで、古い東京の面影を忍ばせるが、土地慣れぬ者には、まるで迷路へまぎれこんだような錯覚を抱かせるに違いない。(創元ライブラリ版、42頁)
作品の舞台となる氷沼家のある目白の地の描写だが、地図を見るとこのあたりの雰囲気は大きく変わってはいないようだ。これを読んで、私の心は目白に飛んでいる。