同潤会の思想は未来への扉

同潤会に学べ

戦後日本の住宅環境の推移を大づかみにすれば、量から質へと規定できるだろうか。戦災復興から高度成長へとつながる「量」の時代から、現代は相対的に「質」重視の方向に傾いていると言えよう。いま慎重に「相対的」という言葉を使ったのは、いまなお必ずしも「質」絶対というわけではないと考えるからである。
住宅の質を重視するという思想について、わが国は「同潤会」という依るべき先例を持っている。大正12年に起きた関東大震災の復興のためその翌年設立された内務省の外郭団体たる同潤会は、「わが国最初の国家的立場からの公的住宅機関」(後掲内田著書14頁)であった。現在でもよく知られた集合住宅の建設のほか、郊外への分譲住宅の開発建設、住宅事情の調査研究などを主たる事業に据えている。
私が同潤会の建てた集合住宅、いわゆる「同潤会アパート」について意識するようになったのはいつ頃だろう。少なくとも東京に移り住む以前であったことは間違いない。松山巌さんの名著『乱歩と東京』*1ちくま学芸文庫)や陣内秀信さんの『東京の空間人類学』*2(同前)を読んで存在を知り、その後東京に住み実際に自分の目でこれらのアパートを「目撃」したことがきっかけで、決定的な関心をもつまでに至った。
そう、いまとなっては「目撃」としか言いようがない私と同潤会アパートの接点。ここ数年の間に取り壊されてしまった清砂通、青山、江戸川、大塚女子の各アパートを目にしたときのある種の衝撃は、20世紀末に東京の住人となった私の個人史のなかに深く刻まれることになるだろう。
ところで上記の文献に食い足りなくなった私は、同潤会アパートだけでなく、同潤会そのものの沿革や歴史的位置づけを知ることができるような本がないものかと探していた。月刊誌『東京人』では、1997年4月号、2000年9月号、2002年11月号と三度にわたって同潤会アパートの特集を組み、それぞれ写真も豊富に入って知的好奇心を満たしてくれるものではあったけれども、一冊の書物のかたちで、また文章のかたちで「これがあれば同潤会がわかる」という決定版が欲しかったのである。
その望みが今回、内田青蔵さんの新著同潤会に学べ―住まいの思想とそのデザイン』*3(王国社)で叶い、ことのほか嬉しい。内田さんは建築史家、上記各同潤会アパートの保存運動にも取り組まれている。
本書を読むと、住宅環境の質的向上に取り組んだのは同潤会が嚆矢でなく、それに先駆けた事例があるという指摘に目をひらかされる。それが東京市市営住宅事業であり、北海道帝国大学で消費経済学を教えていた森本厚吉によるお茶の水文化アパートメントである(第二章)。つまり関東大震災という未曾有の災害が契機となって住宅の質的向上という思想が生まれたのでなく、それ以前から連綿と受け継がれてきた考え方が、同潤会で花開いたということになるわけだ。このことを知っただけでも本書を読む価値があった。
同潤会による分譲住宅や江戸川アパートでは、画一的な間取りの物件ではなく、多種多様な間取りの住まいが準備されていたということにも驚く。そこに住む人びとに何が受け入れられ、何が避けられるのか、絶えず自分たちの事業を検討し次のステップに進もうという意欲があったことを知るのである。
同潤会が事業を遂行するいっぽうでやるべきだった検証作業は、戦争とその復興、さらにつづく高度成長という日本の「近代的発展」のなかで置き去りにされたままなのではないか。わが国における住宅問題や都市環境の問題は、このやり残された同潤会の事業の検証作業を通してこそ光が見えてくるような気がしてならない。
現代社会における社会福祉的な思想や公共事業というものは、一直線に進歩の道をたどっているという単純な進歩史観を抱いていたが、どうもこれは良心的にすぎるようだ。思想やサービスはたしかにきめ細かになってはいるものの、大きくみて退歩しているとしか思えない。本書によって同潤会がやろうとしたことを知るにつけ、その意を強くした。次に引用するような文章を読めば、それがよくわかるのではあるまいか。

ともあれ、同潤会のアパートメントの持つ魅力の一つは、共同施設の存在であり、また、モダニズム建築とは異なった装飾性がまだ残る古めかしいデザインにあると思う。この共同施設こそ、すっかり忘れ去ってしまった“一緒に住む”“共同で住む”ということの意味を、われわれに問い掛けているのである。(48頁)
この青山アパートメントの連続する景観が、通りの建物の高さの規範となって、景観づくりがコントロールされてきたとも解釈できるのである。(111頁)
同潤会がめざした理想の都市型住宅とは、個人の生活環境の平等化ではなく、公共の都市環境の向上に寄与するものであったと思われるのである。(116頁)