[読前読後]現代日本パンツ史の快著

井上章一さんの新著『パンツが見える。―羞恥心の現代史』(朝日選書)はいろいろな意味で(?)刺激的な書物であった。
井上さんは、現代日本パンツ史(?)をめぐる大きな通説に真っ向から立ち向かい、あらゆる資料を駆使してそれらの説が根拠のないものであることを論証し、新たなパンツ史を構築してゆく。一番最初に餌食となるのが「白木屋ズロース伝説」。今はなき東急日本橋店の前身であった百貨店白木屋の1932年(昭和7)の大火災で命を落とした女性店員の死亡原因をめぐる有名な伝説である。
つまり、当時ほとんどの店員は和服のためズロース(パンツ)というものを身につけておらず、彼女たちが命綱で降りてゆくさい、下から見上げている野次馬に陰部を見られてしまうことの恥ずかしさに命綱を手放して思わず着物の裾を押さえた結果、落下してしまった。これがきっかけに日本女性はズロースを履くようになったという説だ。
この当たり前だと思っていた説は、事件当初はまったく語られてすらおらず、死亡した店員一人一人にはきちんとした原因があったことを明らかにする。そのうえでこの説がなぜ語られるようになったのかを突き止め、この説のとおり事故後ズロースを履く女性が本当に増えたのかどうかの検証を行なって、それもなかったことを明らかにしている。
そこから議論は戦前の女性の羞恥心のありようをめぐる内容に移る。陰部が何かの拍子に他人に見えてしまうことに対する羞恥心が果たして存在したのか、他人に小用(それも立小便)を足すことを見られても羞恥心を示さないこと、パンツを履かないことが常態であるために生じた「毛の呪術」、ズロース着用推進派とそれを拒否する女性たちの葛藤、ズロース=貞操帯説、衣服の洋装化とズロースの関係などなど。
ズロース発達史観ともいうべき言説にも厳しい。働く女性が増えるにしたがって、彼女たちが裾の乱れを気にしなくてもよいためにズロースを着用しだす。進歩的な女たちほどズロースを着用する、着用しないのは娼婦的女性であるというフェミニズム的考え方である。しかしこの説も、女性がパンツを履くことによって、履かないことに性的興味を持ち出した男性が増加したことによる通念の変化に過ぎないと一蹴する。
最後の大問題が「パンチラ成立史」。なぜ男性がパンチラを見ることを喜び、女性がパンツを見られることを恥ずかしがるようになったのかという歴史的検証である。女性が脚をとじてパンツが見えないよう気をつけだすのが50年代後半であり、その原因には人目をはばかるような派手なパンティの流行があるのだという。女性がナルシシズムのために履きだした派手な下着を男性に見られまいと立居振舞に気をつけるようになる。したがってパンチラ現象が新たな性感を催すことになる。これが「1950年代パンチラ革命説」の概要だ。
これでゆくと、現代の若い女の子がパンチラを恐れず大胆な座り方をしている現象も説明できるという。派手なパンティが当たり前になってしまったため、パンティに過剰なナルシシズムを投影しきれなくなり、人目をしのぶものでなくなってきた、それゆえだというのだ。実に説得力がある。
パンチラについては、男の視線の代表として取り上げられているのが野坂昭如さん。数々の野坂作品をあげて、野坂さんがパンツに対して男性一般以上にこだわりを持っていたことが示される。この野坂さんがパンツを見せることに羞恥心を感じない現代の若い女の子を見てどう思うか。

地べたに座ったローティーンの女、ミニスカートでパンツもろ見え、これ最新のはやりなのか、本邦にペデラスティが激増して当然、こんな女より男同士と少年が感じて不思議はない。(『妄想老人日記』2000年、井上著書371頁より孫引き)
子供の頃からパンチラ現象に性感を見いだしていた老作家の背中から漂う哀愁がじんと伝わってくる。本書を読んでいてもっとも悲しさを感じたくだりである。
以上に紹介した議論は本書のごく一部にすぎない。まだまだ刺激的な言説がたくさん詰まっていて、とても筋を追って紹介できるものではないのである。以下は、本書で井上さんがとった方法論について触れることにする。
先述のように、本書では実に様々な資料が論証のために駆使されている。新聞・雑誌の記事はもちろん、風俗資料となるようなグラフ雑誌や関連図書、さらに艶笑随筆、そして小説。艶笑随筆などは古書店でも十把一絡げに扱われてしまいには処分されるような運命のものが多いだろうし、小説も今やほとんど読まれなくなった舟橋聖一丹羽文雄、花登筐など、「よくこんなものを見つけてくるなあ」と感心する作品ばかり。
有名な作家、作品であっても、そこから丹念にズロース、パンチラといった事象を拾ってゆくことすら困難な作業だというのに。まずはこうした資料の博捜に敬意を表したい。
そのうえで気になったのは、「史料」としての上記随筆・小説の扱いである。読みながら小説のテキストがパンツ史の史料としてあっさりと使われていることに仕事柄引っかかりをおぼえたので、小説が引用される場面は注意して読んでいた。
小説はそもそもフィクションなのである。たしかに「自伝小説」「私小説作家」などと注意書きが加えられたうえで引用されていることが多いので、井上さんもその点史料批判を怠りなく進めていることもわかってきた。
そのうち、次のような断り書きに突き当たる。
通俗的な読み物を資料とすることに、歴史家は抵抗感をいだくかもしれない。(…)しかし、こうした読み物は、同時代の読者からうけいれられるように、工夫もされている。当該時代の生活感覚をさぐる資料としては、あなどれない。慎重にあつかえば、往時の心性を読みとくかっこうの記録となる。たとえ、つくり話であったとしても。
私がこの本で、小説などの渉猟にもはげんだゆえんである。(293頁)
いっぱんに、歴史家は、小説類を歴史の資料としたがらない。それは作家がくみたてる創作である。作家の空想でつくられた部分がないとは、言いきれない。そういうあやふやな記録にもとづいて、歴史をあらわすのはまちがっている。と、以上のように判断することが、一般の常識になっている。
(…)しかし、小説類を読んでいくと、そんな公的記録にはそぐわない場面も、よくでてくる。
こういう場合、歴史家はどうすればよいのか。作家のでっちあげた作り話だ。とりあげる必要はない。そう冷淡にきりすててしまう手はある。
だが、私はそんな態度を、とりたくない。小説類に散見される諸場面は、きちんと検討されるべきだと考える。なぜ、そういう場面がえがかれたのかは、きちんと問題にされるべきだろう。
それに、作家の風俗観察は、統計類よりするどく事態を見ぬいているかもしれない。その描写から目をそむけるのは、怠慢だと思う。まあ、統計や公式報告を軽んじている私にも、問題はあるかもしれないが。(341〜43頁)
正当な態度だと思う。そしてその考え方にもとづいてきちんとした史料批判がなされていることも、本書を読むとわかってくる。ただ気になったのは、そのため逆にエッセイ類の史料批判がおろそかになっているのではないかという点だ。
たとえば種村季弘さんのエッセイ(「気違いお茶会」『食物漫遊記』所収)を引いて、1957年頃、種村さんが教えていた日本語学校で日本語を学ぶ白人女生徒が様々な色のパンティを履いていたことを例示する。さらに別の箇所では、同じエッセイを引用して、パンティの多色化が男の視姦欲をそそっていたと論じる。
種村さんのエッセイにもフィクションが混じっている可能性はないのか。いや、種村さんだからこそ、面白おかしく当時の生活を脚色している可能性だって、ないわけではない。その点を踏まえなくていいのか。エッセイのたぐいにも小説と同じような厳密な史料批判は必要なのかもしれない、そんな瑣末な疑問を抱いたのである。
「あとがき」で吐露される、井上学を受け止める「学界」に対する苛立ちや、そうした「学界」に背を向けていこうというマニフェストは涙なしでは読むことができない。「生涯一好事家」。刺激的な仕事を次から次へと生み出す井上さんのような人だからこそ高らかに宣言することができるのだが、この言葉に勇気づけられずにはいられなかった。