サラリーマン映画の嚆矢

ホープさん サラリーマン虎の巻」(1951年、東宝
監督・脚本山本嘉次郎/原作源氏鶏太/脚本井手俊郎小林桂樹/高千穂ひづる/東野英治郎志村喬花柳小菊/三好栄子/沢村貞子/関千恵子/伊沢一郎/井上大助/小川虎之助

先に読んだ『演技者―小林桂樹の全仕事』*1のなかで、小林桂樹さん自ら「サラリーマン物の嚆矢」と位置づけた映画が、この「ホープさん」だ。
大学を出て入社試験に通った新入社員が出世してゆく物語。前社長がパージされ、年功序列だけで社長の椅子が転がり込んできたという新社長(志村喬)が野球好きだということで、大学で野球部に所属していた(でも万年補欠)小林が採用される。
入社早々一張羅のスーツを社員寮に入った泥棒に盗まれ、やむなく翌日は会社の野球部のユニフォームで出勤するというおかしさ。ユニフォームにソフト帽をかぶっている。しかしそのことが吉と出るのも面白い。
秘書課配属となり、社長の出張随行員を命ぜられるが、弁当を忘れてしまい、何も食べられずに次第に苛立ってくる志村喬。そこに前社長の小川虎之助登場。パージされ釣三昧の生活を送っている。前社長を見たとたん、それまでふんぞり返っていた志村喬が立ちあがって恐縮する反転の様子がいい。小川の回想では、かつて志村が社長の随行員をしていたとき、弁当を忘れたことがあって困ったというから笑わせる。
全体として見ればとんでもなく面白いというほどの内容ではないが、随所に面白い場面がある。たとえば、小林桂樹の口癖は「何とか」。上司から何か命ぜられると「何とかやってみます」と答える。すると「何とかじゃ駄目なんだ。絶対やりなさい」と厳しく叱られる。この口癖が志村−小川の間でも反復される。
パージされた前社長が解除され復帰し、社内人事も刷新されるというところで終わる。戦争の影響を強く受けた人事が決着したというところで、戦後の高度成長期のドラマが始まるという象徴的なシーンである。
小林桂樹は上司の秘書課長東野英治郎の後釜にすわるという大出世。しかし東野英治郎が定年を目前にして辞めさせられたいきさつは自分の不注意によるというほろ苦さもある。せっかく東野の娘高千穂ひづると恋仲になったのに、このことがきっかけで高千穂からふられてしまうのが悲しい。高千穂の演技はそれにしてもオーバーだった。
この映画の主題歌は、三木鶏郎が作曲して大ヒットしたという。クレジットもされていたけれど、映画では流れなかったのではないかしらん。もし流れていたとすれば、わたしがいかに映画音楽に不注意であるかがばれてしまうことになる。

二代目錦之助登場

  • 四月大歌舞伎・夜の部

源平布引滝 実盛物語

ひょっとしたら義太夫狂言のなかでもっとも好きな演目かもしれない。爽やかな齋藤実盛(仁左衛門)と、未来を予言するかのような人間関係、切り離された小万の片手を、片手のない小万の死体に接いでみたら一瞬だけ息を吹き返すという怪奇趣味、物語に緩みがなく絶品である。今回は太郎吉(のちの手塚太郎)を仁左衛門の実孫千之助が演じたということもあって、お祖父さんと孫の微笑ましき共演を見守るという楽しみもあった。

口上

錦之助の襲名披露。萬屋は大繁栄で、それが口上の大人数につながっている。雀右衛門さんが元気がなく心配。勘三郎が「御機嫌うるわしゅう」とひと言発するだけで場内笑いが出るのはかわいそう。

双蝶々曲輪日記 角力

錦之助の二役。千秋楽が近いこともあってか、声がかすれてしまっている。襲名披露狂言は大変なのだ。錦之助は放駒よりは「つっころばし」の与五郎が良いし、色悪的な役柄が似合うと思う。

新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎

勘三郎の宗五郎を観るのは二度目か。理性を持って妹の無惨な死を受け入れようとしていたのに、その顛末を聞かされて我慢できずに酒をくらい、徐々に理性を失ってゆくあたりの酔態の演技が、もう何とも素晴らしい。息を呑んで堪能する。
勘三郎勘太郎七之助中村屋の世話物は、観ていると江戸の世界にタイムスリップしたかのような気分にさせられて爽快。とってつけたような(いかにも世話物を練習したというような)感じがないのである。毎回思うが、序幕があまりにも引き締まっているから、二幕目からはちょっとダレてしまう。