蠅にこだわる
昭和30年代ブームだとか、昭和レトロブームなどと言われると、天の邪鬼としてはそっぽを向きたくなる。けれども、泉麻人さんの本が好きであるように、もともとそういう時代に興味がないわけではなく、懐古的指向をもった後ろ向きの人間だから、一概にブームに抗しがたいものがある。
書店の文庫新刊コーナーで、初見健一さんという方が著した『まだある。―今でも買える〝懐かしの昭和〟カタログ』(大空ポケット文庫)という本を見つけた。『食品編』*1『文具・学校編』*2『生活雑貨編』*3の3冊が並んでいた。思わずそのうちの一冊を手にとってパラパラめくっていたら、懐かしさがこみあげてきた。
まあここまでなら、懐かしい、という気持ちをすぐに落ち着かせ、そのままもとの場所に本を戻し帰途につくのだが、つい二冊目、三冊目と続けて手にとりめくっているうち、わたしの懐旧の情のツボを押してしまったアイテムが目にとまり、数十秒後気がつくと3冊を手に持ってレジに並んでしまっていた。帰宅して妻に見せると、懐かしがったいっぽうで「これに2000円(1冊730円)も出す気がしれない」と呆れられた。たしかに冷静に考えればDVD-Rが20枚買える値段(いまのわたしの価値基準はDVD-Rになっている!)である。
さて、懐旧の情のツボというのは、『文具・学校編』で紹介されている「ミニカラー20」という商品だった。もちろん子供の頃から商品名で記憶していたわけではないので、写真を見たらもう懐かしくてたまらなくなってきたのだ。
この商品を言葉で的確に表現するのは難しい。要は一本で様々な色の色鉛筆を兼ねているペンと言えるだろうか。ペン先は色鉛筆の短い芯が着脱可能になっていて、外した芯はペンの本体に格納し、それらが透けて見えるのである。著者は「この商品はどちらかといえば「女の子文具」だったような気がする。小学生時代、持ってはいたが「使った」という記憶はない。実用には適さないモノだったのである」
と書いているが、まさに自分の場合も同じで、そんな共通した記憶にも激しく心をゆさぶられた。
著者の初見さんは1967年生まれ。わたしと同年だから、まさに初見さんのこれらのモノに対する記憶が、わたしの記憶と重なり合う。本書がユニークなのは、書名にもあるようにすでに入手できない懐かしいアイテムの話ではなく、現在なお小売店や通販などで購入可能なアイテムのみが取り上げられていること。懐かしい、でも、あれはいまも買えるんだ…ページをめくりながら、そんな驚きの連続だった*4。
しかも、記憶の糸をたぐり寄せるためのデータとして、発売年が記載されているのがありがたい。先の「ミニカラー20」の発売は1970年とあって、まさに小学生の頃に直撃を受けたことがわかるのである。
著者と同年生まれゆえに共感する部分が多く、それが購入の大きな動機にもなった。そのいっぽうで断絶も感じないわけにはいかなかった。著者は東京生まれ、わたしは東北生まれ。やはりこの断絶は地域差と言うべきなのだろうか。
その断絶は『生活雑貨編』で取り上げられているアイテムに顕著だった。たとえば蚊帳。著者は次のように書く。
「蚊帳体験」を「持っている/持っていない」の境目は、どうも六〇年代後半に生まれた我々の世代あたりにあるらしい。ほんの少し年上の人たちは「夏の思い出といえば蚊帳だよね」とおっしゃるし、同年代の人たちはたいてい「実物を見たこともない」と語るのだ。世代差だけでなく、地域差もあるだろうが、七〇年代には、少なくとも我が家の近所で蚊帳を使用している家庭は皆無になっていたと思う。「地域差もある」と慎重に書かれてはいるけれど、わたしの場合、両親と一緒に寝ていた頃にはまだ蚊帳を吊っていた(蚊帳のなかで遊んだ)記憶があるから、就学前、70年代前半頃はまだ家で使用していたのである。
それに加えてショッキングなのは、またしても蠅にかかわるアイテムの話だった。昨日も触れた「蠅叩き」(商品名は「ハイネット」)について、
「我々世代にとって「ハエたたき」は、すでに「マンガでしか目にしないモノ」のひとつだったと思う」とあるのに対し「ええーっ、それは違う」と叫んでしまった。著者は小学生時代の夏休み、遊びにいった「山奥のお寺」で初めて本物の蠅叩きを目にしたそうだし、それでまだ実際蠅を殺したことがない(「ハエたたき」体験がない)という。
さらに驚いたのは、食卓に置かれた食べ物の上にかぶせておく「蠅帳」(商品名は「洗える食卓カバー」)のこと。著者は
「我が家では実際に使用されることはなかったし、実物を目にしたこともなかった」と書いている。我が家どころか、わたしのまわりではまだ当たり前に使われていたような気がする。蠅の有無について、都会と田舎はかくも違うのか。
このように『生活雑貨編』では「ハエ対策商品」が多く取り上げられている。
「それほどまでに、六〇年代なかばまでのハエは威嚇的な存在だった」ということであり、下水道の整備、ゴミ箱の撤去、定期的なゴミ回収の徹底により
「六〇年代のハエ公害は「今はむかし」の歴史的挿話となった」というように、きちんとその意義について目配りされている。
かくしてはからずも立て続けに蠅の存在を意識させられることとなった。一過性のブームとしての昭和レトロも、このような本を生みだし、一読者として享受しながら子供の頃をふりかえることができたのだから、肯定的に受けとめようではないか。8月には続編『駄菓子編』も刊行される予定だという。『食品編』にも、ホームランバーや、パラソルチョコレートなど、多くの駄菓子的食品が登場しているのだが、はたしてどんな懐かしい「まだある」商品が取り上げられるのか、楽しみに待ちたい。
*4:正直に言えば、小学生の子供の親だから、これらに取り上げられている商品・食品が現役であることを知っているものもある。
丸の内、成城、表参道?
映画タイトルどおり実が熟しつつあるお年頃の若尾文子は丸の内のOL。それぞれお互いを好きでいる若尾と、デザイナーの川崎敬三が、結局結婚せずにそれぞれ別の相手と結婚することになるという、切ない恋の物語。
若尾にはいつも縁談をもってくるご婦人がいて、これが沢村貞子。おしゃべりで、会話の最後を「ほんとのはなし」と結ぶ口癖が愉快だ。若尾の母の村瀬幸子が沢村としゃべっていて、この口調が移ってしまう。沢村は「100組目の媒酌」を成立させようとやっきになる。どこかで聞いたことのあるような話だ。若尾は沢村の持ってきた縁談を柳に風と受け流し、見合い相手を友人たちに「配給」(横流し)してしまうのもすごい。
この映画は、ストーリーよりも、背景に映る東京の街に目がいってしまった。若尾は生垣がならぶ広々とした郊外の高級住宅地から、電車と地下鉄を乗りついで兄の田宮二郎と一緒に通勤する。職場は前述のとおり丸の内で、一瞬背後に「三菱一号館」の煉瓦造建物が見えたから感動した。『東京人』2005年4月号(特集「東京なくなった建築」)によれば、三菱一号館が取り壊されたのは1968年(昭和43年)とのこと*1。三菱一号館にとどまらず、このときの丸の内オフィス街の景観は、重厚な建物が並び威容を誇っている。
田宮・若尾兄妹の家は田園調布なのかなあと思っていたら、成城だった。酔って駅から出てきた田宮が川崎敬三を殴りつけるのが、成城学園前駅だったのである。すると通勤電車は小田急で、地下鉄は千代田線なのか*2。
いっぽう川崎敬三が住むのは原宿らしい。高層の「HARAJYUKU APARTMENT」と文字看板の出たマンションの上のほうに住居兼仕事場を構えている。これはどこにある(あるいはあった)のだろう。ラストシーン、川崎の住まいを訪れた若尾が帰る場面に映るのは表参道のような気がする。歩道が舗装されておらず、土がむきだしである。表参道でいいのかどうか疑問がないわけではないが、まあ明治神宮の参道だからありえたのかな。
川崎敬三に自分の娘を結婚させようとする社長に東野英治郎。またしてもその愛人に角梨枝子。文藝春秋編『大アンケートによる日本映画ベスト150』*3(文春ビジュアル文庫、→4/25条)所収「たったひとりで、ベスト100選出に挑戦する!」のなかで、井上ひさしさんは、川島雄三監督「とんかつ大将」での角梨枝子に憧れ、高三の夏休み、受験勉強のかたわら毎日映画館に通ったという。わたしも角梨枝子は清純派女優というイメージがあったのだが、先日観た「八月生れの女」といい、この頃は愛人や玄人っぽい女性を演じ、年増の色気を発散させるような脇役女優になっていたんだなあと感慨深い。