スタジアムは原初の喜び

スタジアムの戦後史

野球をはじめとしたスポーツを生で観る醍醐味はどこにあるのだろう。スタジアムに近づき、建物の威容を見上げたときの昂揚感。切符を求め入場してうす暗い通路を歩き、スタンドに通じる入り口をくぐって、目の前に広がるフィールドを目の当たりにしたときの開放感。生まれ出る胎児のごとき原初的喜び。その時点で目的の大半は達成されたような気がする。極端に言ってしまえば、そのあとのゲームはおまけのようなもの。それくらいスタジアムには魅惑的な何ものかがある。
阿部珠樹さんの新書新刊『スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年』*1平凡社新書)を読みながら、そんなことを考えていた。自分の経験を思い出してみても、野球場に行ったとき何がもっとも興奮する瞬間かといえば、やはり通路をくぐりスタンドに出てフィールドを見渡した瞬間以外ないのだ。
そしてこの興奮は野球場にかぎらない。サッカー場(たとえばベガルタ仙台のホームグラウンドである仙台スタジアム*2)もそうだし、一度だけ枡席で観たことがある両国国技館もそうだった。競馬場もこれに近い。もっとも競馬場は、スタンドから見えるフィールドが擂鉢状ではないから、微妙に興奮度は劣る。
阿部さんの本では、後楽園球場、両国国技館川崎球場日本武道館東京スタジアム、以上五つの「スタジアム」が取り上げられ、それぞれのスタジアムを作った人やそこで活躍した人、演じられたゲーム、コンサートの興奮が活写され、各スタジアムの歴史的な存在意義が論じられている。
後楽園球場の章では、プロ野球の歴史と、日本のプロ野球におけるホームグラウンド意識の変遷、正力松太郎の思惑が論じられる。両国国技館の章では、両国から蔵前へ、そしてまた両国へ戻った相撲の聖地の歴史が、川崎球場の章では、労働者の町川崎の中心部にある川崎球場の社会的意味が、日本武道館の章では、武道の殿堂として建てられた武道館が、国粋と国際というふたつの考え方の間で揺れる様子が、建設の主導的立場にあった松前重義の視点から語られる。東京スタジアムの章では、ワンマンオーナー永田雅一がオリオンズという球団に託した夢とプロ野球に持っていた理想の功罪が問われ、下町南千住の真ん真ん中にあったスタジアムの個性的な姿が生き生きと描かれる。
後楽園球場の章において、天覧試合の意義が述べられている。昭和天皇が大好きだった相撲とくらべ、野球天覧は「あの」試合が最初で最後のものだった。

にもかかわらず、天皇が、満員の後楽園球場を訪れ、試合を観戦しながら、観客の声に手を振って応えたことは、プロ野球がかつての蔑視される地位を抜け出し、相撲に匹敵するような国技、国民的娯楽になったことを、最終的に承認するという意味を持っていた。(39頁)
このくだりを読んでいたら、はからずも先日の長嶋茂雄さんの東京ドームにおける巨人戦観戦を思い出した。「あの」天覧試合におけるヒーローが長嶋さんだった。それから46年後、ヒーローが今度は見る側として、あのときの天皇のように観客全員に拍手で迎えられながら笑顔で手を振り応える。プロ野球を観戦するため訪れた人が、他の観客から歓迎されるという構図は、天覧試合以来なのではあるまいか。
本書に収められている天覧試合でのボックス席の写真には、天皇の後ろに正力松太郎オーナーの姿がある。この間長嶋さんの後ろには巨人滝鼻オーナーの姿があった。などということも思い起こせば、あれはなんとも象徴的なイベントだったわけだ。
先日『東京人』8月号(特集「昭和40年代街角写真帖」)をめくっていたら、加藤嶺夫さんが日大講堂(旧両国国技館)を撮した昭和42年7月の写真があった。これを目にして、あの辰野金吾が設計した大鉄傘の国技館が昭和42年まで残っていたのかと訝っていたのだが、本書両国国技館の章を読んで事情が判明した。
震災にも戦災にもかろうじて生き残った国技館は、戦後米軍に接収され「メモリアル・ホール」と名をかえ、その後日本大学に譲渡され日大講堂として1983年まで現存していたというのだ。わたしが物心ついたとき、当然ながら相撲は「蔵前国技館」で興行されていたのだが、あの特徴的な両国国技館の建物がわたしの高校時代まで残っていたとは驚きだった。
川崎球場の章もまた、川崎という都市の特徴から、川崎球場の他のスタジアムとは異なる特異な点が浮き彫りにされていて興味深い。
かつて、川崎球場に詰めかけたのは、市内の工場で働き、工場に近い会社の寮や単身者向けのアパートで生活する若い人々だった。市内の中心部にあり、工場地帯とも隣接する川崎球場は、そうした人々に娯楽を提供する目的で作られたものだったが、その中心となる対象が、球場の近くからどんどん去っていったのだ。(125頁)
川崎球場の隆盛から衰退を展望したこの一文を読み、思い出したのは山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活*3新潮文庫)だった。江分利満氏は東西電機の川崎社宅に住むサラリーマンである。川崎球場が登場しないかあたってみたが、残念ながら登場しなかった。
このように、一冊の本が、自らの記憶や過去の読書のひきだしを活性化してくれる。こんな本に出会ったときの嬉しさは格別である。

*1:ISBN:4582852831

*2:わたしが住んでいた頃チーム名は「ブランメル仙台」だった。仙台スタジアムは徒歩で行ける圏内にあった。懐かしい。

*3:ISBN:4101111014