寅さん以前の渥美清

「おかしな奴」(1963年、東映
監督沢島忠/脚本鈴木尚之渥美清南田洋子三田佳子/石山健二郎/佐藤慶清川虹子春風亭柳朝田中邦衛/坂本武/十朱久雄/渡辺篤

渥美清が敗戦直後爆発的人気を誇った噺家三遊亭歌笑に扮した伝記映画。映画「男はつらいよ」が封切られるのが1969年だから、この作品は“寅さん以前”の渥美清主演作品ということになる。
珍顔と新作落語「純情詩集」で大衆の人気をさらい、絶頂にあった昭和25年に銀座で進駐軍ジープにはねられ即死したという歌笑のことは、活字でしか知らない。小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)によれば、渥美清の声がときどき歌笑そっくりになる」とあるので(147頁)、おおよその雰囲気を想像することはできる。七五調でいかにも日本人好きのするリズムに、内容は敗戦直後の世相を反映したもので、芸の点ではどうかわからないが、風俗資料として聞くに堪えられるものだ*1
先の『おかしな男 渥美清』において、この映画に触れた章のタイトルは「「おかしな奴」の失敗」というもので、ここから小林さんの評価を判断することができる。その失敗の原因として、映画が歌笑「〈落語改革の信念に燃えた反逆者、天才〉として描」いたことをあげる。別の箇所では「〈落語という古い伝統芸への反逆者〉」とある。この二つの表現は同じなようで、けっこう開きがある。
わたしが感じたのはせいぜい後者の表現であり、前者にある「落語改革の信念に燃えた」とまでは言えないような気がする。歌笑の人気を妬み、彼を高座から締め出そうとする老噺家を十朱久雄が演じる(これがまたいい)。また、歌笑と同門のライバルで、正統的な落語で笑わせる人物を、春風亭柳朝が演じる。調べてみると柳朝はこの名跡を継いで真打になってまだ数年しか経っておらず、勢いがあった時期だったことがわかる。その頃の柳朝の芸を観られるのも貴重だろう。
珍顔という身体的コンプレックスに加え、柳朝のような伝統的落語の話芸もない歌笑が「古い伝統芸への反逆者」ではあっても、自ら改革を目指したのだろうか。小林さんはこの点に「左翼映画」的な臭味を指摘する。伝統を蹴散らして自らを貫くことで大衆の支持を獲得し、英雄となってゆくあたりは爽快で、ああこれを「左翼映画」的と言うのかと意表をつかれた。左翼的思想は好きでないけれど、心情としてそんな好みはあるかもしれない。
小林さんは、歌笑の兄弟子を演じた佐藤慶「実にうまい!」と絶賛するが、そのとおりだった。召集令状が来たことを隠して、南田洋子歌笑を頼むと言い置き、暗く寄席に入ってきたかと思いきや、歌笑に出囃子の太鼓を叩くようお願いして、出た高座では客を笑わせ、楽屋にいる同輩連中を惚れ惚れさせる至芸を見せる。演じ終わると今日は用事があるのでとすぐ帰途についたと思いきや、外で首を吊って死んでしまうのである。このあたりの佐藤慶はすごい。
木にぶら下がる佐藤慶の遺体を前に、応召拒否で自殺するなどもってのほか、非国民と罵声を浴びせる同輩連中の言い草も、死人に鞭打つようで鬼気迫る思いだった。

*1:色川武大さんに「歌笑ノート」(新潮文庫『なつかしい芸人たち』所収)、矢野誠一さんに「三遊亭歌笑の散り方」(文春文庫『落語家の居場所』所収)という歌笑論がある。色川さんは「あの朗々とした声が効果になっている」「まぎれもなく当時の誰よりもモダンであり、前衛であった」とし、矢野さんは「明るいはなやかさのなかに一抹のペーソスがあって、それがひとのこころをとらえていた」と論じる。