こってりしすぎる

安城家の舞踏会」(1947年、松竹)
監督吉村公三郎/脚本新藤兼人原節子滝沢修森雅之/逢初夢子/清水将夫津島恵子/神田隆/殿山泰司

名作の誉れ高い映画。期待して観たところ、ぶっ飛んだというか、わたしにとっては疑問符が多くつく映画だった。
財産を失い、豪邸も戦後伸してきた側に手放さなければならない没落華族が、最後の舞踏会を開催する。華族の家長に滝沢修、長男に森雅之、長女逢初夢子、次女原節子
元運転手で、安城家を離れて運送業でひと儲けし、豪邸を買い取ろうという青年に神田隆。彼は長女に恋心を抱いている。また長男の許嫁にこの映画でデビューした津島恵子。彼女の父親は戦前から安城家と懇意にしている実業家(清水将夫)で、安城家に多額のお金を貸していた。その借金のかたとして、豪邸を差し出さなければならないという滝沢の苦悩。
津島恵子はぽっちゃりして肉感的。森雅之は彼女に暴行しようとして愛人の小間使いに邪魔され、津島から往復ビンタを受け、苦笑しながらピアノを弾き出す。そこに原節子が、神田が豪邸を買い取るため持参した大量の札束を両手いっぱいに抱えて登場、津島の父親に手渡す。元運転手は長女にフラれ傷つき、酒をあおって豪邸を立ち去る。
最初元運転手を毛嫌いしていた逢初は、彼の彼女に対する愛情のまっすぐさに動かされ、豪邸近くの砂浜を歩く彼を追いかけようとする。すると躓いて海岸の丘の上から砂浜の坂をゴロゴロと転がり落ちる。このあたりのシークエンスが「ぶっ飛び」だった。会場からも失笑が漏れていた。
総じてこの映画はストーリーというよりは、俳優の個性でもっているようなものだ。滝沢修原節子森雅之清水将夫、神田隆…。皆アクが強いというか、こってりしている。原節子を除き新劇俳優揃いだからかもしれないが、過剰である。もっともそこがとても面白いと言えば面白いのだが。とりわけ滝沢修森雅之がいい。
安城家の舞踏会」と言えば原節子の映画というイメージを持っていたが、強烈な印象を残すのは上の男優二人だ。森雅之の無気力で遊び好きなボンボン、家の没落を一身に受けているかのような悲愴な表情の滝沢修
この映画が本当に名作なのか。そんな疑問を抱いて、帰宅後いろいろな本を調べてみると、小林信彦さんも「20世紀の邦画100」のなかに選んでいるし(『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』文春文庫*1)、双葉十三郎さんに至っては、『日本映画 ぼくの300本』*2(文春新書)のなかで☆☆☆☆(ダンゼン優秀)という最高の評価を与えている。うーむ、やはりわたしの観る目がないのだろう。
唯一、片岡義男さんが、「よく出来てはいるが、ぜんたいとしては他愛ない」と断じている(『彼女の演じた役―原節子の戦後主演作を見て考える』ハヤカワ文庫*3、65頁)。わたしの感想はこの片岡さんの一文に近い。
さらに片岡さんは、この映画の「シナリオの決定的な不備」を指摘し、それは殿様(=滝沢修)がまったく描かれていない、彼のなかに未来へ向かう力がなにひとつ描かれていないと批判している。わたしにはそこまで読み取る能力はなかったが、たしかに、その意味で言えばこの映画で「未来に向かう力」があるのは原節子だけかもしれない。
いずれにしてもこの映画は、面白く観ることができたけれども、こってりしすぎて、わたしの口には合わなかった。なお、殿山泰司安城家の執事役。八の字髭を生やしたユニークなこしらえで、主人に忠実な役柄を演じている。