グレン隊考

独立愚連隊

「独立愚連隊」(1959年、東宝
監督・脚本岡本喜八佐藤允中谷一郎三船敏郎中丸忠雄鶴田浩二上原美佐雪村いづみ中北千枝子

現在“日本映画専門チャンネル”では、成瀬巳喜男特集と並行して、その成瀬監督の下で助監督をつとめたこともある故岡本喜八監督作品の特集「監督・岡本喜八の世界」も組まれている。
先日惜しくも亡くなった岡本喜八監督、わたしは「江分利満氏の優雅な生活」以外見たことがないけれど、山田風太郎『幻燈辻馬車』を原作とした新作を準備中だという噂を聞き、ひそかに楽しみにしていたのだ。残念でならない。
特集は今月から三ヶ月連続で全59作品のうち56作品が放映される。むろん「江分利満氏の優雅な生活」も含まれているし、さらに楽しみなのが、都筑道夫さんの『なめくじに聞いてみろ』を原作とした「殺人狂時代」。扶桑社文庫版に岡本監督が解説を書いているという縁の深い作品でもあり、映画を見るまでに原作を読まねばと思っている。
せっかくの特集、「江分利満氏の優雅な生活」「殺人狂時代」のみをピックアップするだけではもったいない。代表作と呼ばれている作品もこの機会に見てみよう、というわけで「独立愚連隊」を見た。
日本映画専門チャンネル”の紹介では、「5作目にあたる「独立愚連隊」は、従来の戦争映画の枠を超えたダイナミックな作風で、当時の邦画界に衝撃を与える」とある。岡本監督と言えば「戦中派」であり、そこに山口瞳山田風太郎との接点があるわけだが、先日読んだ川本三郎今ひとたびの戦後日本映画』によれば、岡本監督もまた復員兵であったとのこと。
さて、映画は、戦争末期、中国の山岳地帯にて歩哨にあたっていた独立第九○小哨、通称愚連隊の小哨長をしていた弟の死因を究明するため、病院から脱走し新聞記者と偽って愚連隊に潜入する元軍曹が主人公。佐藤允が演じる。目元口元が印象的な個性派脇役といったイメージを持っていたが、若い頃はこうした映画の主役を演じていたとは。颯爽としてかっこいい。
戦争映画と言うと、わが国では敗戦、周辺諸国への侵略統治という過去があるから、そうした問題意識を踏まえ、戦中の戦意高揚映画の逆をゆくような、乱暴に言えば「暗い」ものになりがちである。ところがこの映画ではそうではない。スマートでからりと明るく、すこぶる痛快、後味が悪くない。軍隊経験のある岡本監督だからこそ作ることができる、そんな内容だ。
もちろん登場人物の口から、戦争に対する批判めいた言葉が放たれていることは無視できない。「死にたくないような奴が死に、そうでない奴が生き残る」といった台詞は、岡本監督自身の実感なのだろう。
佐藤允が入院していた病院で従軍看護婦として働いていた恋人に雪村いづみ(可憐)。彼女は看護婦から慰安婦に身をやつしている。慰安婦仲間の一人に中北千枝子。彼女は慰安婦として稼いだお金を貯め、戦争が終わったら喫茶店を開くのだと夢見る。
また佐藤允をかげで援助する馬賊のリーダーに鶴田浩二。カタコトの日本語で喋る台詞まわしがちょっと笑える。三船敏郎は特別出演といった格で、崖から落ちて(落されて)頭が少しおかしくなった大隊長を演じる。この戦争妄想狂のような演技に、「本日休診」における復員兵三國連太郎を思い出す。
ところで「愚連隊」というのはいつできた言葉なのだろう。先日読んだ『箱根山』にも出てきたこともあり、気になった。ひょっとしてこの映画が何らかの役割を果たしているのか、疑問に思ったので調べてみた。
日本国語大辞典(第二版)』を引くと、明治34年(1901)『時事新報』の「横浜遊廓内には近来グレン隊と称する…」という用例があげられているから、すでに明治にあったのだ。もっとも「愚連隊」という漢字は当字とのこと。ではこの当字はいつできたのか。
同辞典に紹介されている「グレル(狂)と連隊とが結びついたもの」という一説を信じれば、軍を構成する一単位である「連隊」という言葉が成立して以降(近代以降)であることは変わりない。この言葉がはやるきっかけになったのが「独立愚連隊」だったということであれば面白いのだが*1

*1:ちなみに五木寛之さんが「さらばモスクワ愚連隊」で文壇デビューを果たしたのは、1966年である。