坊っちゃんとうらなり

うらなり

小林信彦さんの新作長篇『うらなり』*1文藝春秋)の発売を数日後にひかえ、おもむろに漱石の『坊っちゃん*2岩波文庫)を読み始めた。言うまでもないことながら、「うらなり」は『坊っちゃん』の登場人物である。小林さんの新作はこのうらなりを主人公に据え、うらなりの視点から『坊っちゃん』物語を再構築する内容であると予告にあったからだ。
坊っちゃん』を読むのは三度目だろうか。もっとも、記録を見るかぎり東京に来てからは初めてのようである。たとえば獅子文六の『信子』、源氏鶏太の『坊っちゃん社員』など、ひところ『坊っちゃん』パロディに関心を持っていたが、最近はすっかりその関心も薄れてしまっていた。
よくよく考えれば、同じ小林信彦さんの大作『夢の砦』も、「坊っちゃんの現代版」を意図して書かれていた(→2005/1/2条)。『うらなり』に併録されている「創作ノート」からもわかるが、小林さんは『坊っちゃん』という作品に強い意識を持ちつづけていたようである。
つづけて『うらなり』を読むつもりで読んだせいか、『坊っちゃん』ではうらなりの存在が強い印象に残った。というより、『坊っちゃん』という小説は「坊っちゃん」「山嵐」対「赤シャツ」「野だいこ」(さらに「狸」=校長)の争いであり、胸がすくという印象しか持っておらず、これが「坊っちゃん」「山嵐」の敗北の物語であるという事実はもとより、うらなりがこの物語でどのような役割を果たしていたのか、まったく記憶になかったのだ。
坊っちゃんはうらなりの人物像を次のようにとらえている。

おれとうらなり君とはどういう宿世の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼につく、途中をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして湯壺のなかに膨れている。挨拶をするとへえと恐縮して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人はいない。滅多に笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心した位だ。(岩波文庫版65頁)
このように坊っちゃんに一方的に好意をもたれる人柄と、マドンナを赤シャツに奪われたあげく日向延岡に転勤を余儀なくされるという哀れさで、小説の登場人物ということを忘れ強い同情を抱いてしまったのである。
さてそれでちょうど『坊っちゃん』を読み終えた頃に『うらなり』を手に入れ*3、そのまま読み始めて驚いた。なるほどなあ。うらなりはこの江戸っ子で一本気な坊っちゃんが自分に好意を寄せ、同情的であることをさっぱり理解できないのである。むしろ敬遠気味に付き合おうとする。
面白いのは、坊っちゃんが自分に「うらなり」というあだ名をつけていることを風の噂で知り、不愉快にさせられたことにあてつけるように、うらなりは坊っちゃんのことを「五分刈り」と呼ぶのである。近代日本文学史のなかでもっとも有名な一人といっていい「坊っちゃん」は、相手から見ればたんなる「五分刈り」にすぎない。価値観が揺らぎ、『坊っちゃん』という小説にぐっと奥行きがましてゆく快感を味わった瞬間だ。
『うらなり』は、うらなりこと古賀が、東京に住んでいる娘の家族に会うため、住んでいた姫路から上京したシーンから始まる。ときは昭和初年。地方から出てきた人間としては居心地のよくない銀座四丁目の交差点で、約30年前に勤めていた学校の同僚と落ち合う。それが堀田こと、山嵐なのであった。山嵐は松山の学校を辞めたあと、東京で数学の参考書を書いたりして口に糊している。
物語は、古賀と山嵐の昔話によって、わたしたちがよく知っている『坊っちゃん』物語の裏側が語られ、いっぽうでその当時のうらなりの心的風景、延岡に転任してからそのときに至るまでの彼の人生が振りかえられる。
坊っちゃん』においては、都会人(江戸っ子)である坊っちゃんによって、四国の田舎根性が散々にこきおろされる。それに対し『うらなり』では、地方人から見た都会人の不条理な行動が戸惑いをもって描かれる。
小林さん独特の都会人(東京っ子)論と、『坊っちゃん』に対する熱い愛情にあわせ、明治から大正を経て昭和初年に至る風俗描写のぬかりなさが一体となった、期待どおりの傑作であった。もう一回『坊っちゃん』を読むと、そこに描かれた世界ががらりと変わっていることに気づくに違いない。

*1:ISBN:4163249508

*2:ISBN:4003101030

*3:今どきの小説本には珍しくパラフィン紙がかけられた贅沢な造本となっている。