松本清張の史観・史眼

松本清張と昭和史

松本清張推理小説で最初に読んだ作品は何だろう。たぶん中学生の頃、『点と線』が初めてだと思うのだけれど、確信はない。そのころは横溝的世界大好き少年だったから、いわゆる「社会派」の代表的作品はどうもピンと来なかったように記憶している。
冒頭「松本清張推理小説で」とわざと限定したような書き方をした。これもまた曖昧な記憶だが、松本清張作品に初めて触れたのは推理小説以外の作品だったように思うからだ。小学生のとき「日本史大好き少年」だったわたしは、とりわけ源平の時代と昭和前期の近代史に興味を持っていた。前者は、日本史好きを開眼させたNHK大河ドラマの「草燃ゆる」の影響だとはっきり言えるのだが、後者のきっかけはよくわからない。
その近代史に対する興味から、松本清張の『昭和史発掘』を拾い読みしたような記憶がうっすらとある。この手の清張ノンフィクションと言えば、横溝正史八つ墓村』のモデル「津山事件」を検証した一文が収められた『ミステリーの系譜』も読んだ憶えがあるが、これは今述べたように横溝正史にはまってからのことだから、最初とは言えないような気がする。
ところで『昭和史発掘』の話である。このなかでも大部分を占める二・二六事件を追究した文章を読もうとして、圧倒的な実証的作業の前にとても子供(小学生?)には歯が立たず、流し読み、飛ばし読みに終始したような気がする。いまなお『昭和史発掘』は精読していない。
子供にとっては実証の上に立脚した歴史叙述の面白さに魅せられこそすれ、叙述を支える禁欲的な(かつ面白味に欠ける)実証作業はつまらなく映った。「歴史をやる」ということがこのようなことならば、自分に向かないかもしれないと、早くも夢を諦めた気配がある。それでも懲りず、結局歴史を職業としているのだが、少なくとも近代を選択しなかったのは、多分に『昭和史発掘』の影響が大きいのかもしれない。これは悪い意味で言っているのではない。歴史叙述を支える厖大精緻な実証の壁に圧倒され、とてもああいう根気のいる作業はできないという敬意を抱いたのである。
かくして松本清張の書く近代史は、わたしの昔からの関心の的でありつづけた。保阪正康さんの松本清張の昭和史』*1平凡社新書)はそうした意味で、近代史ノンフィクションの第一人者が松本清張の作品をどのように評価するのか、強い関心を持って読んだのである。
保阪さんは、処女作刊行のさい、帯に松本清張から好意的な推薦文をもらったという。以来清張に恩義を抱きつつ、清張が近代史を考えるさいに念頭に置いたスタンスを継承しながら文章を書いてきたという。別にだからというわけではないが、本書は松本清張が『昭和史発掘』や『日本の黒い霧』で掲げた「謀略史観」に対し、ある種の批評家がそうするように全面的に否定する態度をとっていない。むしろ好意的である。かといってすべてを受け入れるというわけでもない。
むしろ、なぜ清張が「謀略史観」ひいては自分なりの「史観」「史眼」を形成するに至ったのか、清張の一人の人間としての体験や、これらの作品が書かれた時代相に立ち戻って、その歴史的意味を考えるものである。
『昭和史発掘』のなかで二・二六事件が太平洋戦争に直結したとする視点に対し、歴史家有馬学氏の批評を紹介している。それは史観というより、「昭和戦前期を生きた庶民・松本清張に合致する同時代意識としての歴史意識ではなかっただろうか」と言うものだ。この有馬氏の指摘を受け、保阪さんは松本の史眼の特徴をこう指摘する。

松本が庶民として二・二六事件に接し、その後三十年を経て作家としてこれを見たときに、実は戦争の萌芽というのはこの時代にあったのだと問うた時代感覚は、私たちに一定の説得力を持っていると見ることができる。なぜそのことにこだわるかといえば、松本のこの歴史意識を「同時代から歴史への変化」というふうに見てとれるからだ。そのような二・二六事件の記憶と記録を書きのこした作家も歴史家もいなかったからである。(92頁)
松本清張の近代史に対する史観は、その時代を生きた意識が前提にあるもので、批判的意見を受けても揺るがないものとなる。保阪さんは別のところで、清張が『昭和史発掘』で取り上げた事件について、後世の人間は清張が掘り下げた以上の内容をつかんでいないとして、その理由をこう述べる。
もちろんこうした事件を丹念に追いかける作家、ジャーナリストが相対的に少なくなったということはいえるのだが、もっと根源的なことをいえば、「歴史に対する感覚」が、松本が持っていた以上の関心を持ちえなくなっているからだろう。それは、松本が昭和史の数ある事件・事象のなかから、「非軍事的」と見える事件を扱いながらも、そこにいずれも軍事の影がさしていることを読み取るような、同時代的な理解ができる人たちがいなくなったためではないだろうか。(38-39頁)
身も蓋もないことを言ってしまえば、その時代を同時代として体験することが不可能なわたしたちは、清張の身につけた感覚とそれに基づいた史観は共有しえないということになる。
もっとも保阪さんはこういうことを言っているわけではないだろう。清張が掲げた理解、「謀略史観」といった歴史の見方を否定する前に、その根底には、こうした同時代意識と歴史意識の関係があることを踏まえなければならないということだ。これを前提にすれば、たんに禁欲的な実証作業の報告書に見えた内容も、生々しい同時代人の記録として別の意味が与えられる。
歴史を見る、歴史を書くという行為は、その歴史が現在と隔たらない時期であればあるほど、同時代としていかに体験したかという意識の有無が、内容の豊かさを規定する。体験しえない時代の歴史叙述は不可能というわけではない。この場合、歴史叙述を行なう時代(つまり現代)に対する時代意識と無関係ではいられず、現代に対する時代意識の鋭さが、歴史叙述の面白さを左右するのである。
『日本の黒い霧』における下山事件の叙述について、清張のとったスタンスが次のように評価される。
この事件が自殺か他殺かというのは、下山個人の周辺を洗ったところで、さしたる理由や結果がわかるわけではない。彼の死によって日本の社会がどのように推移、変化したのか、それこそが重要であり、それを確認することで初めて謀略の持つ意味がわかってくるのである。(166頁)
説の当否という判断を超え、松本清張の史観の本質を突いた新しい清張論に興奮した。