おもしろいす

古道具 中野商店

川上弘美さんと堀江敏幸さんの本は二卵性双生児のようだ。
一昨年の秋も深まった頃、川上さんの『ニシノユキヒコの恋と冒険』*1と、堀江さんの『雪沼とその周辺』*2があいついで新潮社から出た(それぞれ2003/11/29条2003/11/30条参照)。どちらもハードカバー(上製)で、精興社の印刷、連作短篇集だった。
そして今回もまた、堀江さんの『河岸忘日抄』*3と川上さんの『古道具 中野商店』*4が同じ版元から前後して出た。今度はどちらも長篇で、同じくクレスト装、印刷もやっぱり精興社だった。
このことは版元も心得ているらしく、『古道具 中野商店』のおしまいのページにある刊行案内には、川上さんの『ニシノユキヒコの恋と冒険』『おめでとう』『ゆっくりさよならをとなえる』、堀江さんの『河岸忘日抄』『雪沼とその周辺』『いつか王子駅で』が仲良く3冊ずつ並んでいる。川上作品にも堀江作品にも、精興社の写植文字がよく似合う。
そもそも、『古道具 中野商店』を読みはじめ、「だからさあ、というのが中野さんの口癖である」という冒頭の一文を目にしたとき、川上的世界と堀江的世界のあわいのような空間に紛れ込んでしまったような気がしたのである。
川上さんの最新長篇『古道具 中野商店』は、「学生の多い東京の西の近郊」の町にある古道具屋を舞台にしている。骨董屋でも、アンティークショップでもない、古道具屋。その店でバイトをすることになった「妙齢女性」のヒトミが語り手で、店主の中野さん、その姉で人形作家のマサヨさん、同じバイトの青年タケオくんの4人と、店に訪れる客や古道具屋仲間らが織りなすなんて事はないふつうの、でも少し風変わりな日常が、川上さん独特のふんわりとしたユニークな筆致で描かれる。
物語の時間の流れのなかで、「だからさあ」と会話を唐突に始める中野さん、マサヨさん、語尾に必ず「…す」を付けるのが口癖のタケオくん、主人公のヒトミ、それぞれの恋も進行する。一緒になったり、別れたり、お互いの気持ちを探りあったり、逃げたり逃げられたり。でも決して恋物語が押しつけがましく読者に迫ってくるわけではない。あくまで古道具屋の日常のなかに溶け込み、自己主張がほどよく抑えられている。
物語に時間は流れ、季節も推移する。冬も夏もあって寒さも暑さもある。でもそうした大きな寒暖の差を、新緑の季節を経てそろそろ梅雨が近いと思わせる頃の、少し湿っぽさを帯びたような、胸一杯に吸い込んで「ああ、いいなあ」と思わせる空気のような文体がすっぽりと包み込む。
あいかわらずひとつひとつのフレーズが意表をついてユニークで、日本語の可能性がまたひとつ広がってゆくような、そんな愉しい比喩やオノマトペに満ちている。

聞かれると、中野さんは水をはきだすホースのように、しゅるしゅると話をしてくれるのだ。(33頁)
そのころ、中野さんは詰め襟の学生服を着ていたんだろうか。コロッケサンドかなにかをその「友達」と一緒にぱくつきながら、道を歩いたりしたのだろうか。白目は今のように濁っていないで、青みがかかっていたんだろうか。(50頁)
鶴だろうが筋だろうが、トキゾーさんは進取の気性に富んでるのよ、あんたと違って。マサヨさんはモニターをのぞきこんだまま、つけつけと言った。(69頁)
古道具屋の客は、総体に、レジでの支払いや品物の受け取りの時の視線がねばっこい。(77頁)
ああ、と中野さんは答える。押しきられて土俵を割った力士のような感じの声である。(90頁)
この気持ちよさは何かに似ている、と思った。そうだ、ふつかよいの朝、吐く元気もないときに何かの拍子で思わず吐けてしまったとき、みたいだった。(165頁)
三番目に挙げた「つけつけと」というオノマトペはもう一箇所出てくる。きっと川上さんの創造なんだろうな、そう思って、項目がないことを半ば期待しながら山口仲美編『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』*5講談社)を引いてみると、意外や意外、ちゃんとあったので拍子抜けし、同時にわが無知を恥じた。
「思うままに、相手に不快感を与えるようなことまで、臆面もなく言い立てる様子」という意味と、「相手に対する配慮や思いやりもなく、振る舞う様子。不躾で無礼な感じ」のふたとおりの語意が示されている。いずれも「ずけずけ」が一般的だろう。前者の用例として宮本百合子夢野久作、後者に芥川龍之介夏目漱石があげられている。江戸時代から用いられている古い言葉ながら、現在ではあまり使われることがないオノマトペであることが用例からもうかがえる。
見たことも使ったこともない言葉に出会ったり、意表をついた言葉の組み合わせに唸らされるような楽しみが、川上さんの作品にはある。