本格物苦手の弁ふたたび〔病中病後その3〕

退職刑事1

入院後点滴・投薬治療を受け症状もやわらいでくると、リハビリなどベッドから離れる機会のある病気でないため、朝昼晩の食事が特別なイベントと言うべきほど、日常生活は波のないきわめて単調なものとなる。まさか自分が突然入院するなどとは考えてもいなかったから、頭痛にうならされながらも考えたのは、さて入院中どの本を読もうか、そのことだけだった。
夏期休暇などの長期休暇のとき読む本については考えないこともなかった。それらを読もうか、それとも別の本を読もうか、あるいは最近買った本から読もうか、あれこれ考えることが病気へと向きがちな意識を外に向ける唯一の手段だったと言える。
ただそれにしても、食事以外の時間は想像以上に無為の時間だった。騒音といえば、看護師さんやヘルパーさんたちが廊下を歩く足音や話し声、また同室のおじさんたちの寝息、病院が隣の敷地に新築中の新病棟の槌音などなど、読書を邪魔するほどではない。しずかな時間がありあまるほどありすぎて、かえって集中力が続かず、読書に倦んでしまうのである。贅沢な話だ。三食昼寝付、ついでにやさしい看護師さんたちの看護付きというめぐまれた環境のなかで、入院期間後半はまるで“読書合宿”にでも参加しているかのようだった(もっとも医療費という面でこの合宿は高くついたけれど)。
選んだ本のなかに都筑道夫さんの安楽椅子探偵シリーズ『退職刑事1』*1創元推理文庫)があった。ふじたさん(id:foujita)が絶賛する都筑さんの名シリーズで、私も文庫本をパラパラめくるかぎり面白そうだと期待していた本だったから、この機会に読もうと思ったのである。
などと書くと、いかにも「その期待に反して…」と続きそうだが、そうではない。刑事を退職した父と、その五人息子の末っ子で現職刑事の五郎という二人の男のダイアログで物語は進行する。会話に散りばめられたペダントリイがこちらの好みのいいところをちくちくとくすぐってきて、読み進めるのが楽しかった。
安楽椅子探偵物といえば、最近読んだものとしては鮎川哲也さんの「三番館シリーズ」を思い浮かべる。すぐれて論理的な本格ミステリで、どちらかといえばいわゆる「変格物」好きな私の口に合うものではなかった(→2/22条)。でもよくよく考えれば安楽椅子探偵物というのは、探偵役が情報の提供者から事件に関する情報をつぶさに聞き、その材料だけで犯人を推理するという形式をとるものである。間接的にその情報によって読者も事件をある程度推理できるような、読者参加型のスタイルでもあるわけだ。
となれば、論理的な本格ミステリになるのは至極自然な帰結と言わねばならない。都筑さんの『退職刑事1』を読み、鮎川さんのシリーズに劣らぬ論理的なミステリであったことに当初は驚き戸惑っていたのだけれど、何も驚くにあたらないのだ。
そうしたしばりのある安楽椅子探偵物ゆえ、作者の腕の見せどころは人物造型や事件設定ということになろう。だから都筑さんは登場人物二人の対話に趣向を凝らし、遊び心を注入した。
本書収録の七篇中、私がもっとも好きなのは「理想的犯人像」。冒頭で呈示される謎の不可解さが、まるでもつれた拍子に固く結ばれた紐の結び目が手品師によって一瞬にしてするりと解きほぐされるかのように、二人の対話のなかで明らかにされ、あとは真犯人の指摘へと一直線に向かってゆく。見事というほかない。次点は「狂い小町」か。
ところが法月綸太郎さんによる巻末解説を読むと、私が第一にあげた「理想的犯人像」は「正攻法」ではないらしい。法月さんによれば、「だいたいこの作品あたりから、都筑氏がロジックを展開する時の独特のクセが目立ち始める」という。そのクセとは、

ディテールの検証を積み重ねて、あらかじめ与えられた事件の輪郭を否定し、いったん白紙に戻した状態から、ややハッタリじみた論理の飛躍によって、事件の構図を思いがけない配置に組み替えていく――
というもの。都筑氏が理想とするエラリイ・クイーン流とは異なり、「もっとレトリカルで遊戯的な色彩の濃い」傾向にあり、下手をすると読者にアンフェア感を与えかねないという。
この法月さんの指摘を読んで、「理想的犯人像」を第一にあげた自分のミステリに対する嗜好性というものも際だってスッキリと示されたのではないかと思う。論理的思考能力に乏しい私にとって、やはりガチガチのパズラーは駄目なのだ。パズラーの代表者たるエラリイ・クイーンの作品で一番好きなのが『Yの悲劇』だからなあ。