カメラになった気分

セクシー地帯

「セクシー地帯ライン」(1961年、新東宝
監督・脚本石井輝男吉田輝雄三原葉子/三条魔子/池内淳子細川俊夫/沖竜次

「銀幕の東京」中の一作としてこの作品を観ることができるのが嬉しい。とはいえ本作は「銀幕の東京」的イメージよりも、鹿島茂さんの快著『甦る 昭和脇役名画館』*1講談社)で語られている三原葉子の引力が強烈だ。
鹿島さんはこの作品について、「後半、腰砕けになりそうなところをよく持ちこたえて、なかなか見ごたえのあるサスペンス映画に仕上がっている」と好意的な評価を与えたうえで、次のように語っている。

まず、平岡精二クインテットが奏でるモダン・ジャズがバックに流れるコラージュ風のタイトルバックが息をのむほどモダンで、しゃれている。この時代にこんな粋なタイトルバックは洋画でもなかった。それぐらいにカッコいいイントロなのである。(226頁)
わたしが感じたのもまったく同じで、タイトルバックのモダンさにまさしく「息をの」んだ。洒落たタイトルバックは、これから観る映画への期待を大きくさせる。ただ最近こうしたモダンな映像をつくる監督の作品をよく観ているからか、このくらいのモダンさは当時の日本映画においてさして特別ではないのだろうと考えたのだが、あれだけの数の映画を観ている鹿島さんをしてこう言わせるのだから、突出的にモダンな雰囲気なのだろう。これからはこの作品をトップ水準と踏まえて、映画を観たい。
冒頭、サラリーマン吉田輝雄が部長から預かった「書類」を美貌の女スリ(三原葉子)にスラれてしまうことから、彼と女スリの人生が大きく変わる。その「書類」というのが、「クロッキー・クラブ」のパスであった。クロッキー・クラブとは、会員制の秘密組織で、受付でパスを見せるとスケッチ帳と鉛筆を渡され、別の一室で裸の女のスケッチをするというもの。モデルが気に入ったら係の人間にその旨「指名」すれば、女と一夜をともにできるという、売春組織でもある。新橋のビルの一室に蠢くあやしい組織なのである。
粗筋については、鹿島さんの本に尽くされている。鹿島さんの本を読んだとき、このくだりも読んでいるし、それなりに印象に残っていたつもりであったのだけれど、映画を観終えたあとあらためて読み直すと、その要約が的確であることに感嘆するいっぽうで、いくら的確に要約したところで、その映画を観ていない人間には十分魅力を伝えることができないという文章の限界も思い知らされた。これから映画の感想を書くときは、粗筋は必要最小限にとどめ、印象に残った部分部分を取り上げることにするにしくはない。
いっぽうで鹿島さんは、この映画について「この映画のおおいなる不満は、三原葉子がその悩殺姿態を披露する場面がほとんどないこと」(230頁)と書いて落胆を隠さない。たしかに三原葉子はこの映画ではエロ・妖艶というイメージより、お茶目で可愛いところが目立つのである。鹿島さんの本の面白さは、クロッキー・クラブの話から脇道にそれ、ご自身が体験した「デッサン・クラブ」の思い出話が語られるところにある。
「地下室の扉を開けて二人がどぶ川伝いに脱出する場面も、モダン・ジャズの使い方が巧みで、石井輝男のお得意のアクション・シーンが冴えわたる」(230頁)というのもまさにそのとおりで、ハラハラさせられるのだ。川本三郎さんの『銀幕の東京』(中公新書)によれば、吉田輝雄三原葉子の二人が地下室の扉を開けたとき、目の前に広がっているのは全線座という映画館だという。川は汐留川。そういえば二人は、「銀座二十四帖」にも出てきた築地川のボートにも乗っていた。
二人は夜の銀座、とりわけ路地裏を縦横に駆け回り、時刻を示す場面にはかならず服部時計店(和光)の時計台が撮され、時間の経過が示される。狭い路地裏を徘徊する二人を追いかけるカメラワークも躍動感あふれるものだった。ラストは早朝6時、車も人もまばらな銀座四丁目交差点。吉田輝雄三原葉子が和光から三越のほうまで、中央通りを渡ってゆく。これがまた清々しい。
鹿島さんが何度も指摘するジャズの使い方と、実際カメラをかついで撮っていたのではないかと思われる躍動感にしびれたまま、80分あまりの時間があっという間に過ぎ去った。わたしにとっては、鹿島さんのいわく「腰砕けになりそうなところ」すら感じないほどの緊密な映画だったのである。
外に出ると夜の阿佐ヶ谷。耳の奥には映画で流れていたジャズがそのまま残り、銀座とはくらべものにならないが、目に入るネオンがまるで今映画のなかで観てきたような妖しい輝きにうつる。あたかも自分の目が移動カメラのように夜の町を捉えている錯覚におちいりつつ、路地裏をきょろきょろと見入って構図を切りとりながら、残像に酔う。
仕事でくたびれた頭と身体をひきずり、わざわざ帰るべき家とは逆方向の阿佐ヶ谷まで行ったのが、せいぜい一時間半足らずの映画を経れば、すっかり疲れを忘れ、「移動カメラもどき」になった自分がいる。至上の道楽を味わった満足感で、空いた中央線に乗って帰途についたのである。道楽が「セクシー地帯」とはちょっと…という感じだが、実際そうなのだから仕方がない。
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